虚構の世界
 
初歩的なこととして、何かを体験したり見たりしたことと、それが事実であるということとは、じつはかなり異なることだが、人間という種族はそれをつねに混同する。
これは例外なくすべての人類がやっていることであり、自分は霊性が高いなんて勘違いしている人々でも同じことをやっている。
この世界が実在していない虚構の空間であり、何かの牢獄であるとするならば、そこには魂という概念さえ存在しないことになる。
 
すべてはわれわれが知らないなにかを基調として存在するかもしれないし、それはわれわれが知覚できるものでは決してないことになる。
もしそれが事実なら、われわれはそれを知覚できないように既に設定されている。
とすれば牢獄の体現者である人間はだれであれ真実を知らず、それを知覚していると述べる人間自身が自己で矛盾を起こしているということである。
私が虚無主義的な考え方を持つようになったのは、虚構と仮想の世界で人類が正当化をし続けているからである。
 
だからこそ人々はみな病気になっており、地球さえも滅びようとしているのではないかと感じる。
いかなる教えであれ、終末思想があるのは間違いないことであり、人間の行ないにより天は歪み地は絶え間なく汚れ、人は戦いと流血を繰り返し、その他の生き物はすべて死に絶えている。
人間に与えられる許しなどがいったいどこにあるというのだろう?そんなものは人間たちが許しを乞えると自慰の中で錯覚しているにすぎないと思う。
動物愛護など究極の嘘つきが放つ偽善に過ぎぬ。
 
人間たちは自然の理を犯し、宗教論的にいうならこれまでもこの先も決して消し去ることはできず、宇宙にまでその罪は広がっている。
人間たちは限りなく不誠実であり限りなく不真実であり、人間の定義に従えば限りなく不正義である。
それにより自然と大地の恩恵を被ることははなはだ不遜であり、人間は感謝の心を語るのみで、これが現代霊魂論に流れてきたのだと解釈することは可能であろうと私は思う。
逆説的に宗教論的に述べるなら、罪深き人間が永遠の命も魂も持ち合わせることは決して許されるわけもない。
 
人間は欲深ければ欲深きほどに永遠の命や輪廻転生を求めるが、宇宙と他の生物が人間の転生など決して受け入れる状況ではない。
人間が天の使いと思うものは天の使いではなく、人間を滅ぼすために訪れる。
人間が神と思うものはすでに神ではなく、人間たちを見捨てている。
人間は悪魔が跳梁跋扈することを手助けし続け、どこまでも自分たち自身が悪魔になることを望み続けてきた。
そしてこの世界に神とやらが救世主を遣わしたこともなく、人間たちに救世主を崇める資格もまた微塵たりと存在しないと私は確信する。
 
そこから何を思い浮かべるだろう……。
一つだけ霊魂信者たちが間違っていない言葉を吐くときがある。
それはこの地球と社会こそが魂の牢獄であるということだ。
まさにそのとおりである。
この世界ではつねに人間たちは争いをし、己の正当性を訴え、偽善を働き、自己満足し、それがウソにもかかわらず科学的根拠を持ち出し、なぜその科学的根拠がウソであるかも理解できず、あれがいいこれがいいとか、を繰り返している。
そのすべてが閉じ込められた奴隷の思想であるにすぎない。