厳父慈母 
 
これは日本古来の教えですが別に難しい話ではありません。
厳父とはしつけや態度の厳しい父親のことで、慈母とはやさしく愛情にあふれた母ということです。
古来よりこれが家族としての良い形とされ、これは古代民族であっても似たような傾向がありました。
   
古代民族と中世などの場合は文化度が違うので一概に言えませんが、父は社会の厳しさや躾を教えるうえで重要な存在でした。
それでいて母はそれを許容していくれる優しさがあり、これはお婆ちゃんなどにもその要素が認められます。
このような厳父の価値は何かしら己に問題が起きてみないとわかりません。
ニンゲンは常に後悔する生き物であり、その時にしていればよかったことをすることができません。
  
厳しいということは厳しいことではなく、優しいということは優しいということではありません。
これが男性性と女性性の部分的な違いでもありますが、最近のニンゲンはこれをこれ見よがしに自分の偉さとして訴えたり、さらにいえば厳父と慈母の関係が逆転しているのをよく見かけます。 
 
厳父とは憎まれ役といえますが監視役でもあります。
さらに日本の社会の中では厳父だけでなく、地域のおっさんという重要なファクターがありました。
つまり地域やコミュニティ―のなかで正論を教える嫌われ役、諭すための和尚のような役、それぞれに意味があって成立していました。
 
このような文化が失われてきたのも一つの教育的戦略だということも言えます。
 
慈父厳母はわがままっ子が育ちやすいとも言われます。 
 
物理学者の寺田寅彦の有名な言葉にこういうのがあるそうです。
『日本人は自然の「慈母」としての愛に甘えながら、「厳父」の恐ろしさが身にしみている。予想しがたい地震台風にむち打たれ、災害を軽減し回避する策に知恵を絞ってきたところが西洋と違う。』
 
地震、雷、火事、親父の言葉は別に偶然ではありません。
我が家もどうにも娘を甘やかしてしまっておりますが、もう少し怖くしようかなとも思う毎日でございます♪。