🔵医師は「食医」であり、「農医」でもある!

「食物が私たちの生命に変わる」という経験的事実から、食物というものが、健康あるいは疾病と切り離せない関係にあることは誰でも容易に気がつきそうなものである。しかしながら、民衆はもちろんであるが、疾病治療のプロである医師にしても、その圧倒的多数は「食物と健康(疾病)の関係に無知」であるといってよい。

 ここで、「食物と健康(疾病)の関係に無知」というのは、ただ単に、カロリーとか栄養素を知っているだけで、「身土不二の原則」「人間の基本食は、穀物と野菜にあること」「一物全体食」を知らないということである。この三つは、「健康を得るための三大原則」といってよい。

 これらを学んで、日常的に実践すれば、疾病から解放されるのであるが、こうしたことに無知な医師は、患者を根治へと導くことはできない。食生活が、自然の掟(秩序)に適ってさえいれば、私たちは、疾病と無縁な生涯を送れるのである。

◆「食医」とは

 「食医」は、極めて僅かしかいない。
 「食医」とは、食物と疾病の関係に詳しく、食物だけで疾病を治す医師のことである。
 「食医」という言葉は、国語辞典にも載っていない。これは、「食医」というものが、社会的に認知されていないことを物語っている。ここに、民衆の不幸が、より直接的にいえば患者の不幸があるといってよい。

 当然のことながら、食物で疾病治療ができるということは、食物を産み出す農業にも造詣が深いということである。農業は、食物の質を決めるから、食医たるものは、農業に関心を寄せざるを得ない。

 誠に遺憾ながら、今の医師は、そのほとんどが「薬医」(薬・注射・手術で治療する医師のこと)であって、「食医」ではない。「薬医」では、対症療法はできても患者を「疾病の根治」へと導くことはできない。「疾病の根治」とは、患者を再び疾病にかからない体質へと導くことである。これは「食医」であって初めてできることである。

(中略)

◆「食医」は「農医」でもある

 先週の拙稿「医師は病人からではなく、健康人から学ぶべき」(2005年8月5日)では、次のことを述べた。「『病気の原因』ではなくて『健康の原因』をつき止める。つまり、健康を成り立たせている要因を究明することが、新しい医学・医療のパラダイムである。農業まで視野に入れたパラダイムが必要である」と。

 「食医」とは、農業までを視野に入れた新しい医学・医療のパラダイムに基づいて医療行為を実践する医師ということになる。「食医」とは、「農医」といいかえてもよい。農業・農的生活(以下、「農」という)に無関心な医師では、本来の「食医」とはいえない。なぜ、「農」が医師にとってそれほど重要なのか。

 この疑問に対する回答は、先週の拙稿でも述べたが、いま一度繰り返しておく。まっとうな「農」は健康を産み出し、まっとうならざる「農」は、疾病の原因となる。つまり、健康も、疾病も、その根本は、「農」如何にかかっている。この一連の秩序を、筆者は「農・食・健」と呼び習わしている。

 この三者は、本来一連のものとして捉えるべきにもかかわらず、学問上も行政でもそれぞれ分野別となっていると述べた。「農・食・健」とは、「まっとうな農業」が、「まっとうな食物」を産み出し、「まっとうな食物」が、健康を産み出すということである。この「まっとう」ということの意味であるが、農産物ならば、無農薬・有機栽培のもの。食物ならば、「まっとう」な農産物を用いて、食品添加物を用いないもの、一物全体食(植物ならば、実も皮も茎も根もすべて食すること)のことである。ここでいう「農」は、農業そして農的生活、栽培方法、農産物の質、加工方法、食べ方を含む。ここでは、「農」も「食」も、多義的に用いられている。

(中略)

 「農」は根源なのである。

 「農」がまっとう(無農薬・有機栽培でパワーのあるもの)でなければ、「食」がまっとうでなくなり、その結果、疾病が生じることになる。このことに思いを馳せる医師こそ、21世紀に必要とされる医師像である。究極的には「医は医なきを期す」である。無医という理想世界へ向けての過程では「農食医」を必要とする。