「ストックホルム症候群の遺恨 五十五年目の決着」
 はじめて公の団体を交えて協議したのは2023年10月・11月のこと。取り乱して嫌がる母を説得してでも私は闘いに決起した。家族にも従姉弟にも意を伝えた。

 母の年金から毎回3万円ずつピンハネされる。そのことを停める作戦(10月15日、12月15日)は、いづれも敵の悪知恵に対応しきれず失敗に終わる。私が前夜から母の家に泊まり込んで待ち構えてもなかなか現われず、私がウトウト仮眠とってる隙に現われて、CashCardを受け取り、翌朝には口座から引き出してのける。
 食道裂孔ヘルニア(逆流性食道炎)で寝ているあいだに逆流する胃酸で気道を塞がれて窒息死する怖れのある私は、それを未然に回避するために一日数回の小刻みな仮眠をとらないといけない。そんな私の寝起きの習性を熟知する敵は、母に直接電話して、私の様子を伺い、寝てると確認すると行動に移っていた・・・

 母は敵の要求を断わるどころか、依然、敵の意のままに操られていた。
 そこで友人に相談、私が前日から一睡もしないでウトウトしてる時間帯に友人が見張り、CashCardを受け取りに来るところに待ち構えて年金受給日(2月15日)、その未明五時の暗闇のなかでついに停めた。実力阻止。それでも警察は「証拠がない」として被害届を留保。
 その後、主犯の老人が不意に現われると母は再び取り乱した。自分の本意ではないと自己弁護を試みた。奇妙な二転三転する様子を動画に撮る。それをファイル化して地域包括、民生委員、自治会、社会福祉協議会など繋がる各位に送信。母の奇妙な行動について、それは〈心的外傷後ストレス障害〉によるものと指摘した。
 医師、包括相談員、ケアマネジャーも私の指摘に頷いた。
 12月・1月・2月・3月のあいだに往復を含む60回を超えるメール連絡、十数回に及ぶ協議の過程で公の団体の理解も得られて情報共有に成功しました。

 苛立つ敵は往生際悪く、内容証明郵便(催告書・添付覚書)まで送りつけてきたものの、すでに情報共有しているため、こちらは揺るがず、かれらの要求を一蹴。
 強気の内容証明が通じないどころか却って不都合な証拠提供となって、どうにもならず相手は動きを停めるしかなくなった。
 さらに首謀者老人が緊急入院する騒ぎに。呆気なく決着は着いた。
 この闘い自体われわれの圧勝といえる。然し乍ら五月晴れの爽やかさとは程遠い後味の悪さが残る。55年にわたる母の哀しい過去、悲惨な記憶が消える訳ではないからである。心的外傷後ストレス障害は容易に癒えない。
 特定の実在人物・団体・自治会などの表記が随所にあるため詳細を公表ならず、アメブロの限定公開も避けざるを得ない。これは差し障りない修正リポート。




 この件について私が作成した文献(非公開・A4判)

■ 巧妙な心理洗脳コントロールによるピンハネ事件である
■ Give and Take 関わってはいけない危険な人物がいる
■ 部外秘/本件における重要な視点に絞る
■ 蚊帳の外にされていた私が奇妙な事実に察知するに至る経緯を語る
■ 美談に隠れた邪心(お為ごかし)は執念の追及に暴かれた
■ 被害者の異常な心理を読み解くには
  ストックホルム症候群を理解する必要がある
■ 時系列回顧録 / 五十五年の遺恨の決着へ
 

 しぶといティカ―気質を文書警告で牽制する弁護士。
 こちらは証拠を握っているから事実上の決着は着いた。
失われた過去は戻りません。老衰期にある母に残る余生を穏やかに生きられるようにしてやるだけです。主治医・看護師・訪問看護師・ヘルパー訪問介護など理解と支援を受けて、いまはデイサービス通所もするようになっています。