ものごとなんでも「始」あれば「終」もある。
三月・四月というのは新たな門出と言い換えることもあるんでしょうけども、出会いと別れの季節とでもいうんでしょうか・・・切ないものもございます。


 

 お仕事、お稽古、塾、スポーツクラブ、サークル、趣味クラブ、親睦会、ママとも会、なんであれ、やめる時または、やめたくなる時があるものなんですよね。


 人事異動、転勤、定年退職、再就職
 

 結婚したって離婚する人は離婚する。どんなに親身になって付き添い徹夜で励ましても結局は無駄骨に終わって心配するほど疲れるなんてことも・・・


 やめたいと思って無期限休止または、やめるつもりが皆に励まされて撤回したかと思えば、やっぱりやめた・・・と翻意、遺留されて撤回しても日付が変わると衝動的にやめていたなんていう事例もあるので、なにが正解かわかりません。ふりまわされた末に翌朝になってみたらドロンなんてことも、しばしばありました。

 愉しい思い出、徹夜して夜が明けるまで一緒に泣いた友情、どれも忘れることはありませんから、それは私自身の一生の財、涙の勲章というものでございます。

 


 気力減退、シラケ鳥、うつ発症、更年期障害の影響、発達障害、内緒にしてたのに同僚に知られた~など、それぞれに背景があって、やめる、卒業、引退・・・さまざま表現ありますが「やめる」ことに変わりありません。


 去る者は追わず、来る者は拒まず、捨てる神あれば拾う神あり


 別れの寂しさを乗り越えた先に、また新たな出会いもあると切り替えて
そっと静かに見送ることを繰り返しながら大人の境地に達する。どんなかたちで終わりを迎えても、リアで生きているあいだは思い直すことも有り得る。
 そのままに終わることもあり得る。そういうものであると切り替えることこそ、自分まで病まないための自己防衛術のキホンということになりますか。





 出会いに感謝。いまを生きていることに感謝。人なれば。
 わたしたちは、ゼロ・フィールド・ポイントからやってきて、遠からず、またゼロ・フィールド・ポイントに還る。永遠に静かな眠りに就くのです。




 明日の日を夢見て希望の途を♪