気は使わない。

気は配るもの。



私は気を遣われると

気を遣わせてしまったという

気持ちになり、

気を遣わせちゃってごめんなさいね、

と言われたらなんか一流じゃない。


気を遣う🟰喜んで!

ってならない。



だから私は

気を遣わない。



私は気を配りたいのだ。

大丈夫だからね、の私の気持ちを、

ありがとう、の私の気持ちを、

美味しく食べてね、の私の気持ちを、

ごめんね、の私の気持ちを

配りたい。


気持ちを使いたいのではない。


気遣いの

本来の意味とは違うのかもしれないが

私は気遣いに温かさを感じることもある。

だけど同時に、さらに

気配りによりフラットで

純粋なその人柄を感じる。