12月25日


父が急逝してから、1年が経ちました。
本当にあっという間の1年で、色々な環境の変化が沢山あった1年でした。

正直な話、父が亡くなってからの1〜2ヶ月が、わたしの中ですっぽり抜け落ちています。
全体的にぼやぼやした曖昧な記憶で、良いことも、悪いことも、あんまり覚えてないんです。
だから、この1年を余計にあっという間に感じたのかもしれません。


12月25日


この日、父のお墓参りに行きました。
お墓参りの後にお仕事があったので、泣き腫らした目で行くことになるのは嫌だなァなんて思っていました。
でも、不思議と、全く涙が出ませんでした。
父の話が出ると未だに涙が溢れるのに、不思議とお墓を目の前にしても、悲しい気持ちにはなりませんでした。

きっと、あのお墓に父は居ない。
父は、もう、思い出の中にしか居ない。
そう感じたのかもしれません。

父が亡くなってから数ヶ月は、どこかに父が居るような気がしてました。
顔を合わせない期間も長かった父ですから、ある日ひょっこり帰ってくるんじゃないかって。

でも、時間と共に父の死をゆっくりと受け入れて、やっと最近、父はもう帰ってこないのかな、と理解できました。

母は昔から、死んだら無だ、とよく言います。
わたしはそうは思いません。というか、思いたくありません。
無になるって、凄く恐ろしいことのような気がしてしまうからです。

父は、今もどこかで元気に暮らしてる。
この考えは変わりません

でも、わたしはもう会えない。
この理解が加わって

きっと幸せに暮らしてるから、それでいい。
こう、思えるようになりました

死後の世界とかよく知らないけど、いくらお酒を飲んでももう病気にならないだろうから、好きなお酒を好きなだけ飲んでいてほしいなと思います。

パパ、今までありがとね。
周りが思う以上に波乱万丈な人生だっただろうから、これからはまったり過ごしてください。




泣いても笑っても迎える、2018年。
来年は、わたしにとって、更に大きな変化がある1年になると思います。
もしかしたら少しの間、お仕事をお休みさせてもらったりするかもしれません。

でも、どんな形であっても、わたしは絶対に皆さんの目の届く範囲で生き続けます。
だから、これからも見守っていてください。

来年も、渡辺ありさをよろしくお願い致します。