4.5年ぶりに義姉の所へ遊びに行く事を楽しみにしていた義両親。
義父は、きっと何よりも楽しみにしていました。
移動の数日前から体調を崩していたけど、少し無理をしてでも行きたかった様子で義母や義姉が「一日ずらして、様子みたら?」と伝えると
それでも前もって決めていた日に行くと義姉の元へ行きました。
行ったその日には、体調が悪化し翌日は救急車で運ばれる事態に…
検査結果は髄膜炎。
髄膜炎は、幸いにも早期発見でブドウ球菌が身体のいろんな所へいったけど治療はうまくいき体調が落ち着いた頃に倒れた義姉の県から義父の地元の病院に転院できることになり、新幹線の特別部屋にて移動しました。
最初、民間救急車との案もでたけど80万かかるとかで
新幹線だと15万だったので(それでも15万)ドクターにも許可をもらい新幹線での移動となりました。
3月28日から入院して、4月9日に転院して(かかりつけの総合病院)4月12日に主治医から話があり髄膜炎からの敗血症になり肝臓の数値がかなり悪くて肝不全になり、肝性脳症になってしまっているとの事。
この日、私は病院へ行けず義兄夫婦+義母さんが話を聞いてくれていた。
義母さんから帰宅して話を聞き「父さんな、かなり悪いねんて」と深刻な表情で、私も返す言葉がなくて何も言ってあげれなかった。
まさか、まさか。
だって数週間前に元気に話してたやん
お雛祭り一緒にケーキ食べたやん
お庭にレタスもらいにいって「もっと持って帰って〜」ってたくさんくれたやん
株の話で一緒に盛り上がって、また家きてもらった時に色々話そ〜って楽しみにしてたのに。
急すぎて気持ちがおいつかず、信じられず
なんで、なんでってずっと考えてしまった。
それから、できる限り義父の入院先にお見舞いへ行った。
でも、実際は全然行けず子ども達の新しい環境(新学期始まったばかり、入学したばかり)、習い事、仕事、家事の合間と時間は限られてた。
今思うと、もっと行ってあげれば良かった、習い事なんて休ませて行けばよかった、仕事も早退じゃなくて欠勤したら良かったと色んな後悔がおしよせる。
4月15日を最後に、私と娘達がインフルエンザになり4月16日〜26日までは義父に会えず。
4月27日(土)15:00頃、久しぶりに義父のお見舞いへ行くと、とてもしんどそう。息も荒いけど意識はあり名前も呼んでくれた。
握った手はしっかり握りかえしてくれた。
17:00に義母を一度、自宅まで送り私達も自宅に帰った。
再び義母を病院へ送るため、家族揃って病院まで同乗した。
義母を病院でおろして、私達が引き返そうとしたら義兄嫁さんから電話で義父が血圧下がってるので病院まで来て欲しいと連絡をもらい、そのまま再び病院へ
病院へ到着すると息をしていない心拍がかすかに動いている義父の姿があって
みんなで必死に呼びかけた。
病室には義母、義姉、義兄家族、私達家族みんな揃っていて、家族に囲まれながら19:13息をひきとりました。
私と主人は出逢って18年目。結婚して10年。
今回、義父が倒れてはじめて主人の泣いている姿を目にした。
普段あまり感情を出さない主人が、大粒の涙を流して悲哀し、言葉にできないほど悲しみが溢れていて私はただ抱きしめる事しかできなかった。
人が亡くなると、一連の流れがあるけど
私にとったらこれも初めての経験をさせてもらった。
もちろん娘達もすべて一緒に立ち会う事ができて
じぃちゃんが娘達にとったら身近な人の初めての「死」。
※2年前に曾祖母が亡くなった時は義父が全部段取りして私達はお通夜に行っただけだった。
小学校3年生と1年生の娘達は、どう感じてくれたかわからないけど
いつまでも「じぃちゃん」の事は忘れないで欲しい。
じぃちゃんとばぁちゃんがいてくれたおかげて
貴女達が産まれたよ。
じいちゃんは、とっても可愛がってくれて
たくさん抱っこしてくれたよ。
じぃちゃんは、頑固だけど優しいよ。
じぃちゃんはいつも、自分の事より家族の事を考えてくれていたよ。
じぃちゃんは手先が器用で字がとっても綺麗だったよ。
チョコレートとコーヒー、中トロ、白子、蟹、お肉、白ごはんにお漬物、食後の緑茶が好きでよく食べてたよ。
パンチパーマにサングラスで、なにわのおっちゃん「横山やすし」って若い頃は言われてたんだって
交渉上手で私達夫婦が家電や車を買う時は、いつも店員さんと交渉してくれてたよ
でも、自分の病気の事となると何も先生に聞かず言えずで
もっと何でも一緒にしてあげたら良かったって思った。
お父さん、今までありがとうございました。
最後までよく頑張ってくれました。
もう、痛みやしんどさから解放されましたね。
本当にお疲れ様です。
お母さんの事、きっと心配してますよね。
私達夫婦が近くにいるので、安心して下さい。
旅行行きたかったと聞きました。
お母さんと一緒に行ってきますね。
お父さん、ワガママで言いたい放題の嫁なのに、たくさん可愛がってくれてありがとうございました。
これからは、お空から見守っていて下さい。
主人の事は私が支えます。