ショッピングモールの花屋さんの店頭にあった黒板に、紫陽花のチョーク絵が描かれていて、となりに『さよなら あじさい』の言葉が添えられていたんです。

「なんってセンスが良いんだろう!響きもかわいい!」と、心を鷲掴みにされてしまいました。


細かいことを言うなら、“さようなら”ではなく、漢字表記の“紫陽花”でもなかったからこそ、グッときたのかと。

ちょっとくだけた言い方にして、ひらがな⑧文字にしたことで、あの花が持つ柔らかな雰囲気に、見事にフィットした文言になったのかと思われ。


梅雨の時期を連想させる、おなじみの季節花だからこそ「だって来年も、また会えるもの」の信頼を抱けて、ちゃんと手を振って、明るく見送れるのよね。


だからといって、他の種類の季節花、たとえば『さよなら チューリップ』だと、別れの言葉と花とのあいだに、色相差がありすぎる気がする。


『さよなら たんぽぽ』だと、生命のリレーの綿毛飛ばしのイメージが根強いこの花に、はっきりとした区切りの言葉が似合っていない気がする。


『さよなら 彼岸花』だと、双方の言葉の世界観が重なりすぎていて、予定調和のごとく一方向への濃厚さは増すけれど、心がうんと、ときめくことはなかったはず。


『さよなら ツバキ』だと、浮かんでくる さよならの場面(椿の首落ち)が一瞬すぎて、ただもの悲しい気持ちだけが込み上げそう。

※すべてわたしの感性だけで語ってます


『さよなら あじさい』の文言には、見送る寂しさと来年への期待、両方の気配を感じるんです。だから、さよならを冠に付けるに相応しいのは、やっぱりあじさいなはず。

わたしが花のなかで一番あじさいが好きだから、単にひいき目に見ているだけかもしれないけど。


どんな言葉でも さよならとタッグを組むことで、ドラマを予感させるものになるのかしら。

『さよなら ハンドソープ』

『さよなら 哺乳瓶』

『さよなら 固める反射』

これ、統合が完了した時に書くブログのタイトルにしよう····


なんて、日々そんなことを考えながら、二酸化炭素を排出しているわたしです。


うと ありさ 🍋‍🟩


苦楽園口駅付近の今年の あじさい。
さよーならまた来年!