どこか薄っすらと気付いていたものの、知らんぷりを貫いていた自分の悪癖。いよいよ卒業する時が来たのかなぁと感じている、新緑の季節な今日この頃です。そう思えるようになったのも、発達が進んだから、なはずです。


わたしにはずっと【ドラマティックに生きたい願望】が強くありました。人生に波乱万丈みがあったほうが味気があるでしょ、のような価値観で、どうやらモロー反射に寄る部分が大きいようです。

それに合わさって、幼い頃から慣れ親しんできたドラマや漫画の影響も、大いにあったんじゃないかな。(それを言い出したら、国民のほとんどが影響を受けているだろうけど)


わたしはごくごく一般的な家庭に生まれ落ち、今も変哲のない主婦をしていますけど、ドラマティック願望がありさえすれば、たちまちそこは演目場、どうやってでも自分好みのドラマを始めることは出来てしまうんですよね。


でもこの願望があるせいで、余分なトラブルをも招いていたんじゃないのか?って、疑問を抱いたんです。

究極的かもしれないけど、わたしが心底「平凡で穏やかな生活を送りたい」って望んでいたなら、夫も転職で右往左往したりせずに済んだんじゃないかなって知らない内に夫を使って叶えていたものが、あった気がしてなりません。


そのうえ「穏やかな生活を迎えたりしたら、悩みのタネの話題が失くなってしまって、退屈な人と思われてしまうかも」という恐れもあったんです。くだらないや、もう本当に脱さなきゃ。


かつて知人が、トラブルになった相手から日本刀を向けられて、都会の街を逃げ回ったことがあるのだと、武勇伝のように語っていたことがありました。

センセーショナルで面白可笑しくも取れるけど、刃を向けられない人生のほうが、良いに決まっているはずです。(どこまで真実か分からんが)

知人はアーティスト気質で、類まれない才能の持ち主であったと同時に、特別だと見なされたい気持ちが強い人でもありました。すこし特異な婚歴もあって、人との間でのトラブルも絶えずじまいだったんです。


結婚のかたちは自由で、揉めることに躊躇のないスタンスは貴重とも言えます。が。

結局、本人にしか分からない聖域だけど【他人から見たらイビツだけど自分はしっくりきてる】と【自分を特別に見せたいがゆえの選択】は天と地ほどに乖離していて、後者を選べば必ず傷付く人が出てくるだろうし、尾を引くかたちで最後は破綻してしまうはずです。


【人生って、けっこうドラマだ】ってCMのキャッチコピーが意味するのは「日常の何気なさの中にも、目を凝らして見つめてみたら、さもドラマのような場面があったりするもの」ということであって、わざわざ意図的にドラマ仕立てにしなくても良いんですよね。


誰かの人生を離れた場所から見つめたり、過去の自分を振り返った時に、引きの映像でドラマ仕立てにするのは まだ有りだろうけど、まさに今の自己をドラマティックに切り取って、脳内放映している間は酔いが過ぎているように思う。(恥ずかしながら、かなり身に覚えはある)


それで、わたしだけでなく、各々のドラマから、まさに人類は覚醒しようとしているんじゃないの?

そういう時代に、差し掛かっていますよね?


うと ありさ 🌳🍺


昨日は近所の川沿いを散歩していました。お天気で、風が涼しくて、神様からのご褒美みたいな こどもの日でした。



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