百貨店の催事場にて、出産前からの顔見知りとの再会が、何件かほどありました。
「聞いたよ、出産で休んでたんやろ?おめでとう」や
「しばらく顔を見ないなーって思ってて、もしかすると、おめでたなんじゃないかって····!」だったり、差し出してもらった言葉に、身体を柔らかく包まれた感触がありました。
その人達へ、たいそれたものを渡した記憶なんて無いんです。それなのに、すごく尊いものを貰ってしまいました。
なるべく目立たないようにと、息を潜めるように振る舞っていた時期もあったけど、わたしの存在の輪郭を、しっかり刻んでくれていた人が居たんです。それは、わたしがちゃんと、その人と関わり合えていたからですよね。
貰った言葉の対極にあるのは「最近あの人の姿を見かけないな、あ〜良かった」かなぁ。それとも姿を消したこと自体にすら、気付いてもらえないことかしら。
ありふれた表現にはなりますが、わたしが貰ったものは、お金を介して調達できるものではないし、かつ少し時間を掛けなければ、得られなかったものに違いありません。
仕事を通して、ふいに無形のギフトがもたらされます。そういうものの方が、きっとうんと遠くの未来まで、残るのかと思われます。
あの場所で働くスタッフ全員が、本当に自分のしたいことをしているかは定かでないし、仮に「流れに身を任せて気が付いたら、ここにいた」みたく、気の抜けるような歩み方をしていたとしても、人と人とが交流すればそこには輝きが生じて、時代がどれだけ巡ろうとも、人の出会いの本質は喜びでしかないはずです。
たとえば相手が、いずれどこかで【うとさん】と出会った時に
「そういえば、かつて うとさんって名乗る人が居たな」と想い過ると同時に「あの時、おたがいを大切にし合えていたよね」と、ほんのりと心が温まってくれていて、人生を肯定的に捉える手伝いが出来ていたら、嬉しいなと思う。
相手の解釈によっては、わたしは悪人として、相手の心に居座っているかもしれません。
自分の影分身にまで責任を持てはしないけれど、せめて自分が好きな自分で人と関わってゆきたいなと、切実に願っていたりします。
うと ありさ 🍦🍦