先日、ワークのお客さんとのやり取り中に思い出したのは、昔、仲違いをしてしまった友人についてでした。

30代を迎える目前、わたしの軽率な言動が発端で、当時いちばん親しくしていた友人を失うことになりました。


思いのほかダメージは深かったようで、しばらくは食欲不振、心が灰かぶりになったような状態で、どうにか仕事をこなしていた記憶があります。


すこし回復をした後に、とある人との会話中に、わたしは彼女と自分の母親を、同一視していたことに気付かされます。

グズグズしてはっきりもせず、言い訳ばかりで行動に移そうとはしない(ように見えた)。

そんな態度がわたしには、かねてから変わってほしいと望んでいた母の姿と、丸かぶりして映って見えていたようです。

わたしの助言によって彼女の人生を引っ張り上げることで、擬似的にでも、変われた母と会いたかったのかもしれません。身勝手でした。


その友人は、自身のことを根っからの善人と信じ切っている節があって、自らの手は汚さずに、誰かを動かして利を得ようとすることが、しばしばありました。長年の付き合いだからこそ見抜けてしまった、彼女の無意識下にある癖でした。

同時に彼女だって、わたしの隠しきれていない悪癖を、見逃してはいなかったろうなぁと予測できます。たがいに好意を寄せ合いながらも、精神的な要望の一致が為されていた気がするんです。


関係が破綻する前の数ヶ月間は、いわゆる共依存の関係にまでなっていました。

当時、わたしが恋愛に悩んでいたこともあって、暇さえあれば彼女の都合を軽視して、電話で逐一やり取りをするのが日常化していました。

その親密さに彼女だけでなく、次第にわたしも疲弊していたのだと、全てが流れてから気付かされました。

「なんだか妙なことになっているな」と察したら、いったん相手から遠ざかる勇気を持てていたら、あんなバッドエンドを迎えたりは無かったはずです。


彼女の最後の言葉は、わたしに対する捨て台詞でした。

親しかったからこそ、その友情歴から “どの言葉を使えば相手はより傷付くのか” を、分かってしまうところってあるじゃないですか。彼女の台詞には、わたしとの経験則がふんだんに詰め込まれていたし、その彼女の魂胆をこちらが見抜けてしまうのも、絆があった証だと思います。

そして見抜いていることすらも、彼女も分かっていたはずで····だからもう、たがいに全てがアケスケ。


「いま、彼女に伝えたいことはあるか?」と問われたら、ありません。最後にちゃんと、謝れたからかな。

電話を掛けても出てはもらえず、震えた指先で謝罪のメッセージを打ち込んだ場面はずっと忘れられません。(どこぞのJ-popの歌詞みたい、まったく情緒なんて無い、あったのは わたしのみっともなさだけ)


言えた立場じゃないけど、謝れた事実は時に白星なんだなって。

彼女のほうが思いをぶち撒けて、瞬間的には清々しさを覚えたかもしれないけど。

あとあと残るダメージまでを踏まえたら、彼女側が少しだけ、後ろめたさという名の生き辛さの1つを、引き受けることになったはずです。


さらに言うなら、あの離別がなければ、わたしの婚期は遅れていたに違いありません。離別を受け容れて「健やかに依存し合えるパートナーを持とう」と、動き始めたことが事実です。


直感では彼女もわたしと同様、あの件で心にしこりなんて残してはおらず、「もしも友情が続いていたら」だなんて、微塵も思い浮かべてはいないはずです。


どんなに親しくなろうが、礼儀を欠いたら関係は破綻してしまうって、家庭を築く前に教えてくれて、わたしを大人にする役割を担ってくれてありがとうと、躊躇なく彼女へ向けて放てます。

願うまでもないだろうけど、彼女が彼女らしく、今いる場所で日々を愛せていたら良いなと思うだけです。


うと ありさ 🌷


御影公会堂に初めて行ってきました。地下にある食堂目当てです。
建物の窓枠をよくよく見たら、うす緑色でした。