西宮へ約20日ぶりに戻ってきたら、ちょっとだけ浦島感覚になりました。
大阪駅の阪急電車のプラットホームへ降り立った時に「帰ってきたんだな」の気持ちが溢れてきて、最寄り駅へ着いたら、街のささやかな変化がやたら目に留まりました。駅前のお店に、毎年恒例の相撲部屋を歓迎する のぼり旗が飾られているのを見て「わたしの知らぬ間に····」と、浮かれモードの街に、置いてけぼり感を勝手に抱いてしまいました。
駅まで迎えに来てくれた夫は、少し髪が伸びていました。
夫婦間でよそよそしさは無かったけど、20日という月日は1歳の娘にしてみたら、パパを忘れるには充分な期間だったようです。夫に対して人見知り全開になっています。
当初は3月末まで滋賀でゆっくりしたい、と計画した上での帰省でした。そのことを母へ伝えた際、電話越しにも関わらず、母の表情はニンマリしていて、母の中にいる子どもが、ピョンピョンと跳ねて喜んでいることが、有り有りと伝わってくるようでした。
だけど滋賀での日常は次第に、退屈しのぎで娘と出掛けるばかりになって、日々を間延びさせている感覚が増していきました。
滋賀ならではの予定だったり、生産性のある用事があれば、また違ったはずには思います。家事をしなくて済む分、いつもよりかはラクなはずなのに、心は渇くばかりでした。
つまらないと感じるのは、場所ではなくわたし自身の問題····という見方もあるだろうけど、そこの深追いや攻略へは向かわずに「もう西宮へ帰ろう」と決めたら、ふわりと心が軽やかになったんです。
そのあとに「母を悲しませるだろうか、薄情な娘だろうか」と過って、間を取って、あと1週間ぐらいは残ろうかと自分に提案してみたら、ずんと心が暗くなるのが分かりました。
もう今は、自分の個の幸福感を追求しようと思いました。(もうひと回り大きい、家族全体の幸福感を追求する場面も当然あるし、あって良いはずに思う。使い分けられることこそ豊かじゃないかな)
正直にそのことを伝えたら、母はやっぱり寂しげにしていたけど、不満を垂らしたりはせずに、納得して送り出してくれました。
西宮へ戻った翌日、娘を連れて近所を散策していたら、やっぱりこっちは拓かれた土地なのだなぁと感じました。
カフェなどのお店がそこかしこにあって、人の行き交いが活発だということは、それだけエネルギーがうごめいているわけですものね。ちょっと憧れの街として、この地域を目掛けて、外部から足を運ぶ人も大勢いたりもしますし。
久しぶりに家事も自分主体で存分にこなせて、達成感も感じました。「わたしが求めていたのはコレだよ····!」と。
新鮮さが加わっているから達成感が増長してる所もあるし、調子に乗って、引き受け過ぎないようにはします。
10年ほど前、ふと目にした【人って頑張る為に生きているわけではないから】の格言にうんと救われたことがあります。
その隣に【のんびりする為に生きているわけでもない】の言葉も、並べておこうかな。こちらは、自分の内側から湧いて出てきたものです。
その2文の合間の水域を漂いながら、その時の自分が欲したものを掴んでゆくのが、大人の流儀なのではないかしら。時にどちらかの岸を寄す処にしながら。
湖国への帰省は、そんな情感で幕を閉じたのでした。
うと ありさ 🐢🏖️