昨年の夏の終わりに足腰を悪くして、そこから強制的に人生を見つめ直さざるを得なくなった夫が、来月から教員として働き始めることに決まりました。


もともと知り合った当初、彼は教職に就いていたんです。結婚が決まって、わたしの母と初対面の席でも「教員は自分の天職だと思ってる」と、ハッキリサッパリと話す彼の姿を横目に、そう言い切れるものが懐にある人なら大丈夫だと、尊敬の念すら抱いていました。


だ っ た の に。

色んな考えを含み重ねたとはいえ、その発言から数ヶ月足らずで教職から離れると彼が言い出した際には、驚くほかありませんでした。

「天職とまで言ったものから、そんな安々と離れられるものなの?」母へその旨を報告をしたらば、わたしとまったく同じ考えを口にしていました。

そんな疑問はありつつも、現実的に反対する理由が見当たらなかったので、異を唱えたりはせず、彼の新たな道を応援することにしました。


ただその時に、ちゃんと筋道は通したものの、やや不自然なかたちで勤務先の学校を去ることになったんです。

「そんな幕の引き方で、果たして次の職場で上手く行くんだろうか····」という胸騒ぎがあって、そういうのって、まんまと的中してしまうんですよね。

直後に勤めた企業は半年わずかで辞めることとなり、彼自身もダメージを負うはめになって、誰も幸せにしない転職を目の当たりにしたようでした。


それからまた別の企業へ2回ほどの再就職を経て、昨年の夏に足腰を傷めたタイミングで「身体の不調とは別に、今の仕事が合っていない気がする」と打ち明けられて、彼がいちばん辛いと分かってはいたけれど「もういい加減にしてくれ」の思いが先行してせり上がってきたことも、本当です。


「辞めてもいいけど、その代わり、梅田幸子さんの仕事のコンサルを受けて欲しい」と、わたしからの提案にすんなり快諾したあたり、彼も突破口を求めていたはずです。

そうしてコンサルを受けて、やはり自分は教育の現場に身を置きたいのだと再確認したそうで(※そこは、コンサルタントでも何でも無いわたしでも分かっていたけど)、教育業界に戻る気持ちを固めることになります。


秋から彼のためにと色々取り組んできた反面、険悪ムードになることも増えていって、陰が極まった直後での採用となりました。

採用の報告を彼から聞いて「給料がいくらとかは二の次だわ!彼が自分の青写真から外れてなきゃ、それで良し!」

そう湧いて出た、自分の気持ちをずっと見失わずにいたいです。後あとの細かなことは、わたしと帳尻合わせをすれば良いだけですよね。


この数年に及んだ彼の回り道って、いったい何の為に起こったのか、現時点では見い出せていません。自分の本質とはあまりにも違うことを選んだら、精神にも身体にもガタがくるんだよって、反面教師になってくれたのかな。もう、その経験をこれから教え子たちへの指導に活かしてくれ、としか言えません。

今年に咲く桜は、彼にとって特別なものになるはずです。


うと ありさ 🌸 🌸 🌸


大津市街地の足もとで見付けた、鳥さんたち。

子どもを喜ばせるために取り付けられたのかしら。こういうものに、目を向けられる余裕をいつも抱いていたいな。