今月の10日、博多で開催された根っこ研修に、夫と娘と一緒に3人で参加をしてきました。一昨年からこつこつと、統合ワークを続けてきて良かったなぁと、心底思えた1日になってくれました。


わたしの固める反射も、ずいぶんと統合が進んでくれていたみたいです。あと、娘のも。

固める反射の残存具合で測るならば、かつてわたしが抱いていた程の生き辛さを 娘が背負うことは無さそうなので、ほっとしています。まだまだ発達の途中だし、課題は続くかもしれないけど、いったんは、うんとうんと喜びたい。

娘が自分の内側にも外側にも よすがを持てて、自身の存在を疑うような時間が、生涯1秒たりとも流れたりはしませんように。


研修のなかで、なにより心へ残ったことを書きます。

わたしの自己紹介の順番が巡ってきたときに、幸子さんから『彼女は面白い文章を書くブロガーさんでね····』と、紹介をされました。

自分の本質に沿ったラベリングなら、悪くないですね。むしろ、力がふつふつと漲ってくる。わたしも れっきとしたブロガーなのです。

そんな風に幸子さんや、ほかのワーカーさんから文章を褒めてもらえるたびに、わたしの頭に飯島愛さんの生前のエピソードが過ります。


愛さんの著書を読んだ美輪明宏さんが、彼女の文章をたいそう評価したそうで、そのことに感激した愛さんが「あの美輪さんに文章を褒めてもらったの!」と、あちこちで誇らしく話していたそうです。

そのことは美輪さんの耳にも入っていて、愛さんが亡くなったのちに「彼女は自分の才能を伸ばそうとはしなかったのね」と、漏らしていたそうな。(人づてに聞いた話なので、ニュアンスが違うかもしれません)


芽吹いた才能を見出してもらって、誰かからスポットライトを当ててもらうぐらいまでは、わりと容易なのかもしれません。そこから才能を育み続けられるかが、肝心なのかなって。


愛さんの文章は大勢の人に読まれて、評価もされていて、わたしとはあまりにもスケールが違うけど、大切なことを忘れないための重石として、わたしの奥底に鎮座しているのかも。称賛の言葉は活力になるけれど、そこを目指して書いているわけではないですから。


そうして午前の自己紹介タイムが終わり、休憩時間中に幸子さんから、わたしの固める反射がうんと統合されていることを聞けて、すっかりホクホクと気分は良くなって、午後の研修が始まりました。

つづく。


うと ありさ 🍊♨


博多じゃないけど、小倉で食べた おでん。