【はじめての統合ワーカーデビュー】の、動画の上映会に参加しました。

参加前から うっすら決意していたことですが、苦手なことはしない、余計なものは入れない🍞 の超熟マインドを、今後は一層大切に育ててゆこうと思えました。


インスタグラムでの発信も、少しだけ可能性を過らせていたのですが、写真を撮ることが好きでもなければ、仕上りを人様から褒められたこともなく。ブログと2本立てだと、早い段階でバテてしまう予感もあって、遠くまで歩いて行きたい気持ちがあるからこそ、無理してまで手を出すのはやめておくことにします。

(ちなみに、わたしが何よりも残酷に感じた“2本立て”は、トトロと火垂るの墓の同時上映🫠)


こうしてブログを書くことも、今後は仕事の一部へ組み込まれてゆくだなんて。企業へ お勤め時代、業務で文章を書くことがあったとはいえ、組織人として相応しい内容しか、基本的には許されてはいなかったわけです。

反射の統合ワークや発達について、ここで誤ったことを書いてはならないにせよ、大平原が広がっているような奥行きは感じていて、わたしへ新しい景色をもたらしてくれるはずに思います。


反面、何かに所属をしていないと 目には留めてもらいにくい、ということも、経験則から知ってはいます。

数年前にアメブロを書いていく中で、何者でもない、どの方向にも尖っていない、ちょっと感受性強めのアラサーの日常についてだなんて、なかなか心の竿には引っ掛けてもらえないんだなぁと、思い知りましたから。


#余計なものは入れない🍞 つながりで。

つい先日、久しぶりに昔の同僚とメッセージのやり取りをしていたら、自分から発信される言葉たちが、以前よりもスンとシンプルになっていることに気が付きました。

以前は(自分なりの)サービス精神てんこ盛り、みたいな文面だった記憶があって、相手からすればサービスどころか、くどささえ感じていたんじゃないかな。発達すると、あらゆる面で洗練さが表れてくるようです。


いつだって見極められているはずだから、不純なものを人へ差し出すのは、もう本当にやめます。要なものを外側へ放ってしまったら、それは場をかき乱したあげく、鈍い痛みを伴って、自分へ刺さるカタチで還ってきてしまうことを、散々な失敗談から知っていますからね。(はい合掌)


うと ありさ 🥪🍅