究極の愛  下記サイトより

http://sun.modifier.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=35231


【あなたの為を・・・】 【こんなにもあなたを思って・・・】 【こんなにも好きなのに・・・】 【こんなにも愛しているのに・・・】等と
気がつけば、相手の事をと言いつつも・・・

自分の満たされたい欲求を求めているだけってのが多い。


私が思う、究極の愛とは 【自分の中で、この人だ!】 【この人だから!】 と思える確信、信念を持てるのなら、自分の気持ちが伝わる、伝わらない、受け入れられる、受け入れられない、関係ないんじゃないのか? と思ってること。



私は、この人が好きだ! 愛している!



そう思ったのならば、相手に伝わろうと、伝わらなくても、どちらでもよくね? と思ってる。
(大事なことなので、似たようなことを二度言いました)

伝わらないのならば、伝わるまで、自分に向いてくれないのならば、向いて貰うまで 【待ち続ける】 ことも可能でしょ?

待てないのは、自分の欲求を満たすことを優先しているから。


まぁ、相手に自分の感情、意思が伝わり、受け入れられ、互いに求め、相思相愛になれることに越したことはないですけどね。

強制的に、無理にでも、相手に伝えようとし、自分の欲求を満たして貰おうとするから 【恩着せがましく】 なる訳だ。



過去の日記にも引用しましたが、下記も同じ本からの引用です。

あなたを本当に愛しているのは私なのです。
決して、あの人ではありません。
私はあなたをあの人に任せます。
しかしそれは、私が本当にあなたを愛しているからなのです。
そしてあなたは、あの人が自分を愛してくれていると錯覚しているのです。
あの人はただ、自分の幸せの為に行動しているにすぎません。
あの人の愛が本当の愛でなくても、あの人があのように錯覚し、あのように行動している以上、私が身を引くより他にあなたは幸せになれないのです。


本当に愛しているのはあの人ではない、この私なのだ、ということを相手に認めさせようとした瞬間、本当の愛は 【偽りの愛】 に変わる。



あなたを本当に愛しているのはあの人ではない。
この私なのだ、とわかっていても、それさえも言わないこと、
それさえも理解して貰えなくても、それに耐えられることが本当の愛ではなかろうか?



  鳴く蝉より鳴かぬ蛍が身を焦がす



なので、私が思う究極の愛とは 【片思い】 の境地になる訳です。

一方的な捧げるだけの状態でも、自分が良かれと思えるのならば、それが全てだと思う。
相思相愛であったとしても 【自分100%=相手100%】 には成りえない
【自分100%=相手10%(最悪0%)】 でも満足出来る境地、それが

【片思い】の境地と思っています。





閑話休題

恋愛 文字で書くと、恋と愛な訳だが・・・
恋をしたから、必ずその先に愛があるとは思わない。
恋をして、必ずその先に愛があるなら 【破局】 は存在しないはず。

恋と愛は、別物。
連動する可能性はあるものの、確定ではない。

恋とは、一時的な感情、愛への準備期間的なもの
愛とは、意図的に意識していくもの、育てていくもの

恋とは、相手を貪るように、相手を理解(性格、思考等)、信用、信頼関係を築くことをする為の時間
愛とは、相手を理解した上で受け入れ、お互いを成長させていく時間



人から愛されることは、どんな人間でも可能である

人を愛することは、誰にでも出来ることではない





Simple is best
屋久島