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こちらのblogは
自己肯定感低く
自己評価高め
生きづらさを抱えたまま
大人になった私が、結婚、出産を経て、
とあるカウンセラーに出会い、
人生大逆転!幸せに生きれるようになった!
私もカウンセラーを目指したい!
そう思って動き始めた
そんな私のblogです。


就職先でうまく行かず、
約半年で、心が悲鳴をあげて出勤前に号泣。
18歳で仕事行きたくないと大泣き!
それでも、仕事服にアイロンをかけながら。
自分をどうにか行かせなきゃと
奮い立たせようとしていました。



この頃は実家に住んでいたので、
みかねた母が勤務先に電話。
今日は休みますと伝えていました。



この【大号泣辞めたい事件】の前から



職場の雰囲気的にも
私が馴染めてない事は明らかだったので
上司じゃなくて社長のポジションの方から
『あまあまで育てられたんだろうね〜』
って言われてました。



この頃はまだなぜこんなことになるのか
自分でも理解できていなかったので
そうなのかぁ…。って思っていましたけど。



生きづらさとその理由に気づくのはまだまだ
その10年くらい先のこと。
あ〜、これまでの道のり長かったな〜。


話は戻って
精神科に連れて行かれた話。


母が予約して精神科受診が決定。
連れて行かれた〜と書きましたが
精神科に行ったいきさつは
正直あまり覚えていません💦
でも自分で予約したわけではないのでね。
そうだったと思います。





精神科でのお医者さんとの会話は
ほとんど内容は覚えていないけど、
これだけははっきり覚えている言葉があります。


『自分に厳しすぎるんじゃない?』
『辞めてもいいんじゃない?』


お医者さんのこの言葉のおかげで
辞める選択ができました。。





逆にいうと
お医者さんにかかって
お医者さんが
『仕事を辞めることの許可』
を出してくれるまで
自分に自分で辞める許可を出せなかった。



その頃には
“自分がどうしたいのか”


っていう生きた方ができなくなっていて。


“どうした方がいいのか”
“どっちが一般論として正しいのか”


をいつも考えて行動していましたね。
奥底には
母に嫌われないようにはどうした方がいいのか。
母がダメな母と世間に思われないようにするにはどれが正しいのか。
が隠れていたのかな。と思います。


結局、診断名はなく、投薬治療もなし。
そのまま仕事はフェードアウトして
そこの病院には一度きりの受診で終わりましたが。

がしかし!

また人生の大きなターニングポイントで
私は精神科はお世話になることになります真顔
そこはまた改めて書くことにしますね。


そして現在ニコニコ飛び出すハート
こんな私でも幸せに生きれるようになりました。
過去のわたしみたいな方へこのブログが
届きますように。
そして、いつかそんな方のカウンセリングをしたいなって思っています。


お花が届くの嬉しいよねっ飛び出すハート