オウム事件から20年、今見えた怖さ批判だけでは、逆に使命感をあおる事に成る意味が分かりました。
それは何故ハマるのか、不思議でしたが今後もある、カルト教団の手法、その分かった一つの例はを挙げてみたいと思います。

オウム離脱者が語ったことは、足のかかとに肛門を乗せ、身体を修行として何時間も振ると大腸が刺激され、体内が熱くなる。
刺激による血流効果と薬の覚醒で悟りに近づくと教えるから、誰がやっても成る事実と、離脱した人が語っていた。
たぶんヨガの道理の中のにある応用でしょう、理系の人ほど神秘的な体験には弱い。
そこに希望の見えない恨み思考の社会観、刺激で錯覚させる高揚感、錯覚させる体感の洗脳。
一般社会にも学問にも無い理論と、修行という体感に否定できない味わいにハマる意味がそこにある。

それを家族や周りが批判すれば、真実の体感の理を否定する、それが社会の不信を招いて来た現実と、錯覚への確信が一致して洗脳が深まる。
批判は逆に使命感をあおる事に成る、そこで家族が離脱者に聞き、修行でなくても刺激の原理と内容を理解させ紐を解くしかないでしょう。
そこに見えた批判は不信をあおる戦争から、発展途上までの焦った復興、多数決に恨みが残る、詐欺師の民主主義。
押しつけで花もペットも育たない、親子も押しつけは反発するでしょう、自由というから権利主張で親子殺人も事実。
 批判でチームは成り立たない、全て企業も日々調整し合う、まして国際流通の生活は国内で争う時でないでしょう。
オールジャパンで世界の心に、ハブ空港から花リズム桜前線の道理を発信できるのは、四季ある日本だけ。
互いに理解できる未来定義を、地球人類の共通テーマ、それも語れるのは日本だけ「いいねライン」に乗せるだけ。
アラブの春も、花嵐の後にそよ風となる、そこで大切なことは、双方の人々が批判社会からビックデータ見える理解へ会話を誘導。
判断基準は生きる命の仕組み、育てる未来は、男女尊重の花リズム、素直にありのまま語る時でしょう。