おはようございます。

 

今日は曇り空。テンション上げていきましょう。

 

 

 

さて、今日はちょっと辛口です。

 

 

「人間が空を飛べるわけない!」

と周囲の人たちに言われ続けても、ライト兄弟はそんな言葉を無視して研究に没頭し、

やがて有人飛行に成功しました。

今では地球の空を多くの飛行機が飛び交っているのが当たり前になりました。

 

「そんなの今までやのやり方と違う!」

と村の人たちから言われて続けても、ブータンの農業を発展させるために、心血を注いだ西岡京治は、

何百回と村人と話し合いの場を設け、焼き畑農業から水田開発への変更を提案し、やがて受け入れられ、

今ではその村は毎年豊かな米が実る土地となりました。

 

「飯どきに便所のCMなんかやるんじゃない!」

と物凄い抗議の電話が殺到しても、トイレのウォシュレット機能を開発した企業は、あえてご飯時にトイレのCMをしたのは、

食べる事と排泄することがいかに人間にとって大切なことであるかを理解して欲しいという意図を持っていたからでした。

クレームの電話には丁寧にその事を伝えると、やがて抗議の電話はかかってこなくなりました。

今では多くの方がこのウォシュレット機能の恩恵にあずかっています。

 

など・・・・・

 

それまで、世間では非常識と言われていたようなことでもあっても、それが本当に正しいと信じるのであれば、

いかなる批判があろうとも、その信念を貫くことによって、やがては、周囲もその正しさを理解するものであるという事例の一部です。

 

 

さて・・・

 

誰とは言いませんし、どの記事を読んだとか、誰が話していたとかは申しません。

またこれは特定の人を指すものでもありません、複数またはそうした風潮に対してのお話です。

 

「男同士でも普通に手をつないで歩ける世の中にしたい」

 

とおっしゃるゲイがいます。

 

どうぞ「おつなぎ下さい」と申し上げます。

 

こうした人たちは、「世間が私たちを奇異な目でみなければ手をつないで歩きたい」と言っているのです。

 

世間の人たちは人間は空を飛ぶことができるのだと、言ってくれたら飛行機を開発するとライト兄弟が言っているのと同じです。

村の人が焼畑農業より水田を開発した方がより豊かになれると理解してくれたら、農業指導をしてあげると西岡京治が言っているのと同じです。

世間がトイレの宣伝をご飯時にしてもクレームをつけないとわかってから、ウォシュレットのCMをするのと同じです。

 

 

世間の皆様が「変わってくれたら」、私はやりたいことをやりたい。

 

そして、挙句の果てには、

 

私たちがやりたいことができないのは、世間が私たちを理解してくれないからだ。

 

と言っているに等しいわけです。

 

そういう考えは、本当に止めた方がいいですよ。

 

まったく成長性がない考え方です。

 

世間が何を言おうと、なんであろうと、俺たちは手をつなぐんだ!これが正しいんだ!

 

と思って、堂々とそれを実行してください。それがあなたたちにとって住みやすい世間を作るということです。

 

この国は、男同士で手をつないでいようが、道端でキスをしようが、ペアルックだろうが、なんだろうが、

 

逮捕されたり、催涙弾を投げられたりする国ではありません。恐らく私刑だってないと思います。(あったらそいつらが罰せられます)

 

海外ではLGBTの権利が保障され、理解が進んでいるという人がいますが、例えばアメリカでは同性愛者というだけで殺される場合がありますから、ご注意くださいね。誰かを差別することによってあの国は成り立っている国であることを忘れないでください。

 

 

 

何事も、最初は大変だし、辛いかも知れませんが、やはり「自分たちにとって住みやすい環境」を作りたいのであれば、世間のせいにするのではなく、ご自分で行動する以外にないのです。

 

ただ「自分たちにとって住みやすい環境」が、「万人にとって住みやすい環境」であるかどうかは、わかりません。

 

「ライト兄弟」も「西岡氏」も「ウォシュレット」も、多くの人の幸せにつながっています。

 

男同士で手をつなぐことが、ご自分たちだけがよければ、それでいいのか。ということはよくよく考える必要があると思います。

 

 

 

 

街行く男女が手をつないでいる光景を目にします。

 

そもそも、戦前やそれより前の時代、男女が手をつないで歩くなんて考えられなかったのをお忘れですか?

 

しかし次第に「恋愛」は二人のもの。という考えが我が国にも浸透し(ほかにも理由はあると思いますが)、今日に至るのです。

 

そして、手をつないでいる男女は、基本的に「二人の世界」にいます。

 

だから手をつなぎ、時には道端でキスをするのです。

 

もっと言ってしまえば、タクシーでラブホテルに向かっている最中であっても、もう「始まって」しまうのではないか。くらいの所まで二人の感情が高ぶることだってあります。タクシーの運転手さんが目の前にいるにもかかわらず。

 

これはまさにこの二人が「二人の世界」にいる証です。周りなんてどうでもいいのです。

 

「男同士でも普通に手をつないで歩ける世の中にしたい」

 

とおっしゃる、ゲイのみなさん。

 

どうですか?あなた方は「二人の世界」にいますか?

 

本当に「二人の世界」だと言い切れますか?

 

どこかで、この恋愛(同性愛者であること)を後ろめたいと感じていることはありませんか?

 

そう思っている時点で、あなたは「二人の世界」の住人ではありません。

 

世間や親といった、別の誰かの幻影と一緒に暮らしているのです。

 

世間に変革を求める以前に、あなた様が変わる必要があるのです。

 

では、お前はどうなのか?と問われれば、まったく同じです。

 

ゲイであることの後ろめたさを感じて生きている人間ですので、

 

今彼氏と一緒に暮らしていますが、僕は二人の世界では生きられていません。

 

だ・か・ら!「男同士でも普通に手をつないで歩ける世の中にしたい」なんて、

 

言える立場でないことを十二分に承知しているのです。

 

 

人のせいにしない、すべては自分の問題!

 

というお話でした。

 

 

 

 

それでは今日はここまで。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます