おはようございます。
曇り空が続きます。気温も低いし、今年は冷夏なのでしょうか??
さて
タイトルの通り、私たち同性愛者のカミングアウトについてです。
カミングアウトという言葉はすっかり多くの人に定着しましたが、
今日は実体験を含めてこのことについてお話したいと思います。
先ず、大前提ですが、何度も何度も何度も何度も・・・このブログで言っておりますが、
同性愛というのは「性別」ではありません。
単に「同性に性的魅力を感じる感性を持った人」というだけの事です。もちろん僕も。
それ以上でもそれ以下でもありません。そこはまず押さえておくべき事柄です。
そして、これは個人的な体験に基づいてのお話なので、万人に当てはまることはありませんが、
カミングアウトは必要ないと思います。
一時期ゲイ界隈で、なんとなく、仲の良いノンケの友達にはカミングアウトをするみたいな風潮があって(自分の周りだけかも知れませんが)
僕もまんまとそれに乗っかって、大学時代の2人にしたことがあります。(男友達1人、女友達1人)
確か28歳くらいにしたと思うので、もう10年前の話になりますが、
はっきり言って今は全く交流がありません。
大学を卒業してしばらくは昔を懐かしむみたいな気持ちが働いて、大学時代の友達ともそこそこ会って食事などするでしょうが
お互い社会人になればまた新たな出会いがあり、さらにノンケはそのほとんどが、結婚します。
ゲイはゲイで、同じようにゲイと交流を深めていきますから、ますますノンケとの距離は広がります。
残るのは「あの時カミングアウトしたあいつ、僕がゲイだってこと他の人にしゃべってないかな・・・」という不安なだけです。
人の口に戸板は「絶対に」立てられませんから。いわゆるアウティングというやつです。
またカミングアウトする相手にもよりますが、僕がした相手はもちろん「そうなんだ」と受け止めてくれましたが
これは言葉には出しませんでしたが、確かに「憐みの目」で見られたことをはっきりと覚えています。
今から考えれば、いちいちもったいぶって発表する必要もなければ、
まるで男・女とは別の生き物として生まれてきてしまった特殊な人生・・・みたいに思ってもらう必要もありませんでした。
ただの「同性に性的魅力を感じる感性を持っている」というだけの話ですから。
しかしノンケと交流していると、「なんでお前結婚しないの?」「ゲイなんじゃないの?」と言ってくる人もいるでしょう。
それが面倒で精神的に苦痛だとか言うゲイもいます。
確かに気持ちはわかりますが、まずそういう言葉を「ちゃかしながら」言ってくる人間とは二度と口を利かなければいいと思います。
あなたの人生にとって、1ミリも得にならず、そんな人から学ぶことは「バカってバカのままなんだな」くらいですから。
ただ、真剣にあなたの将来を心配して、結婚をしないのか?と聞いてくる人がもしいれば(まぁ~まずいませんけどね)
「そういう相手に未だに廻りあっていませんが、プライベートは充実しているので今のところはご心配に及びません」と言ってあげればいいと思います。
家族に対してはどうなんだ。というのがあると思います。
僕はしていませんし、これから先もすることはありません。
もう40近いので、親も心配だと思いますが、今のところ僕は彼氏と住んでますし、まったく別れる雰囲気もなく、それこそプライベートは充実しています。
ただもし、本当にこの人を幸せにしたい。と思える女性と出会えば、結婚するかも知れません。そんな将来のことなんて、わかるわけがありません。
僕の両親は恐らくカミングアウトしたら、恐らく強いショックを受けると思います。
受け入れるのが難しいと思います。それはもう家族によりけりだと思いますが、僕の場合はするべきではないと思っています。
親ではなく兄弟姉妹にする人もいるようですが、それもやはり相手次第でしょう。
しかしいずれにせよ、ただの「感性」の話ですから、
結婚するしない。とは全く別次元の話であることはここでも理解しておく必要があります。
とは言え、僕のように同性愛はただの「感性」である。と理解している人は、はっきり言って本当に少ないです。ゲイ・ノンケ関わらず。
もちろん僕の親もそうでしょう、だからショックを受けるだろうから、カミングアウトをしないということです。
・・・・が!!!
実は僕の場合は一つ面倒なことがあります。
もう20年近く前の話なのですが、地元の友人数人が僕が不在の間に僕の部屋に上がり込んで、クローゼットの中からゲイビデオを発見してしまったのです。
んで後日、寝ているところに突然この友人数人がやってきて、それこそ「問いただされました」
まぁ今から思えば、壮絶余計なお世話ですが、
僕という友人が、ゲイであるということを、「深刻に受け止め」そして、「真剣に考えた」末に取った行動だったのだと思うようにしています。
そして僕はゲイであることを認めて、結局強制カミングアウトみたいな感じになったわけです。
それ以降も、この友人たちとは交流が続き、僕ももうバレているわけだし、ゲイネタみたいな話も結構していました。
しかし、先に記した通り、彼らも妻を持ち、子供を持ち、社会人として別々の世界で暮らすようになり、交流は絶えます。
「友人の1人がゲイであるということを、「深刻に受け止め」そして、「真剣に考えた」」彼らも、時が経てばどうでもよくなるのです。
(だって本当にどうでも良いことだから、他人の(感性)好き・嫌いなんて)
結局大学時代の友人と同じパターンで、「僕がゲイだってこと他の人にしゃべってないかな・・・」という不安だけが残ります。
そしてその不安が的中します。
強制カミングアウトの現場に「いなかった」人物(でも僕がゲイネタみたいなのを話していたのは聞いていたと思いますが)が
その親に話したんだそうです。「東京流人って男の子が好きなんだよ~」って。(本人が言っていました)
ね、人の口には戸板は立てられないでしょ。
狭い地元なので、万が一僕の親と、その親が顔を合わせた時に、アウティングされたらどうしよう。と心配になります。
先ほど申した通り、僕の親は恐らく受け止めることができませんから。
何度も言うように、僕は同性愛がただの「感性」であると理解していますが、できない人間の方が多いのです。
中には親にカミングアウトをして、そんなのは私の子ではないと絶縁したり、あるいは精神を病んだりする親だっています。
これは友人から聞いた話ですが、1人のゲイが不幸にも親より先に亡くなって葬儀をした後に、部屋を片付けていたらゲイであることが分かった途端に、その親は激しく動揺し、結局その遺骨さえも家の墓に入れずに拒否し、最終的にその人が働いていたバーのママが墓を建て供養した。という話まである程です。死後絶縁とでも言えると思います。
カミングアウトは本当に簡単な話じゃないんです。
自分の事を知ってもらうためにする。ありのままの自分で生きたい。とかいう理由でホイホイとカミングアウトする人もいるようですが、
自分の事を知ってもらうというのは、日本の社会では、ある意味周囲に「気を使え」と言っているのと同じです。
上記のように、受け止められず、本当に悲しい結果になってしまうことだってあります。
こうなったらカミングアウトとはまさに「暴力」と同じだと言ってもいいでしょう。
僕は少し人と違う経験をしたのかも知れませんが、その上でやはりカミングアウトはお勧めしません。
まとめると
・同性愛はただの「感性」であるということ。
・友人だろうと、いつまでも同じ世界で生きてはいけないということ。
・他人は他人にそれほど興味がないということ。
・カミングアウトによって、その後の人間関係が崩壊する可能性が十分あるということ。
・日本社会では「自分を知ってもらう」というのは周囲に気を使わせてしまうということ。
この5点です。(他にもいくらでもカミングアウトを奨励しない理由はありますが)
ゲイのみなさん
このあたりよ~くお考えになってみて下さい。
ノンケのみなさんも
こういう見方もあるんだなぁ~と頭の隅に置いておいてください。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。