みなさん、おはようございます。

 

東京は今日も暑いです。

 

お出かけの際は熱中症にお気をつけください。

 

 

 

 

そういえば、6月はプライド月間?ですね。

 

6月を中心に世界各地でプライドパレードが開催されます。

 

特に今月末の30日はアメリカのニューヨークで大きなパレードがあるようです。

 

ストーンウォールの反乱https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1

 

から今年はちょうど50年ということですので、大きく盛り上がるかと思います。

 

たった50年前はアメリアの同性愛者たちは、社会的差別を思いっきり受けていたわけです。

 

ゲイバーにはおとり捜査が入ったり、ゲイだからと言って解雇されたり、挙句の果てには殺されたり。

 

ちなみに今でも、アメリカでは同性愛者だというだけで殺される場合もありますからね。

東京レインボープライドパレードに思う事

でも書きましたが、日本にはまったくそういうことはありません。

 

一言で言えば、

 

アメリカのレインボーパレードは生きるか死ぬかを訴えるパレード

 

日本のレインボーパレードは単なる要求パレード

 

です。

 

まぁとにかくいずれにせよ、少なくとも日本のみなさんにお願いすることは、ゲイはかかわらず、放っておいてください。

 

それがお互いのためですから。

 

なんで気持ち悪いものをわざわざ見せつけて、これを直視しろ!さもないと差別主義者のレッテルを貼るぞ!

 

と言われなきゃいけないんですかね。

 

ノンケからしてみれば、同性がイチャイチャしている姿なんて、基本的に気持ち悪いものです。

 

中には素敵。と思う人もいると思うけど、それはヘビがかわいい。という人が多少いるのと同じで、だいたいの人は気持ち悪いと思います。

 

いちいち理解なんてされる必要も、する必要もないのです。

 

 

 

これは面白い話なのですが。

 

男性同性愛者の社交場、通称「ハッ〇ン場」ですが、

 

例えばヨーロッパのこうした施設は、お酒を飲む場所が併設されていて、ワイワイガヤガヤ、お客同士がおしゃべりを楽しみ

 

その延長でセックスをする。というスタイルのお店が大変多いです。

 

ところが日本の場合は、確かにお酒を飲む場所が併設されている場合も増えてきましたが、数としてまだまだ少なく

 

個室で仕切った、セックスだけを目的とした施設の方が圧倒的に多いわけです。

 

 

また例えば野外の場合であっても、海外の場合は「ここはヌーディストビーチ」とはっきりと分けられているのに対して

 

日本にはそういうところはありません。

 

慣習的にゲイが集まる場所はありますが、どれもこれも、辺鄙で誰もこなそうな、え?こんなところにビーチがあるの!?

 

みたいな場所に集まります。

 

それはなぜかと言えば「後ろめたさ」があるからです。

 

自分たちは、ノンケとは違う、後ろめたい一面があるんだ。と自覚しているから、

 

ゲイ同士であっても、ハッ〇ン場でそこまで極端にお互いコミュニケーションを取ろうとしないし

 

野外であっても、人目の付かないところでこっそり楽しもう。という心理が働いているからです。

 

 

もし本当に世間様に自分たちのことを理解して欲しいと日本のゲイの大半が思っているのであれば、

 

堂々と湘南の一番人が集まる海岸の真ん中の終結して、ビキニでも、全裸にでもなって海水浴を楽しんでいるはずです

 

しかしそうにはなりません。

 

繰り返しますが、本人たちが「後ろめたさ」をもっているから、あくまでもこっそりと楽しみたいと思っているからです。

 

ではなぜこの「後ろめたさ」を日本のゲイは感じるのでしょうか?

 

これも至極簡単な問いです。

 

答えは「みんなと違うから」です。

 

この日本に住む者にとって、この「みんなと違う」というのがどれだけ、ある種「罪深さ」を感じるワードであるということは

 

このブログを読んでくださっている、恐らく日本人のあなた様が一番ご理解されているのではないでしょうか?

 

小学生どころか、幼稚園児であっても、「みんなと違う」というのは、注目の対象・いじり・いじめの対象になります。

 

しかも、それが「性」という、最初から備わっているモノ、つまり努力して獲得するモノではない、自分たちにとっては「そうであって当たり前のモノ」が

 

自分たちと「なんか違う」となれば、それは本当に気軽にバカにできるのです。

 

それをゲイだって理解しているからこそ、秘匿しよう、秘匿しよう、という意識が働くわけです。

 

(もちろん人によって強弱は異なりますけど、基本的にはみんな隠すわけです)

 

ところが、海外はそうではありません。

 

自分を主張しないことが、逆におかしなことなのです。

 

自分はこういう人間だ!言い続けることによってその存在を理解してもらおうとするわけです。

 

それまで、いじめられるからコソコソしていた、例えばアメリカのゲイたちも

 

いよいよ堪忍袋の緒が切れて、警官に立ち向かったのが50年前のストーンウォールの反乱でした。

 

それ以降毎年プライドパレードを開催しているのは、コソコソしていた自分たちが悪いんだ!

 

周りに自分たちの存在を理解してもらう必要があるんだ!

 

とまさに西欧人発想に基づいているからなのです。

 

 

 

日本と海外はかくも違いがあるわけです。

 

日本は日本のやり方で、生きていくのがいいのです。

 

海外の猿真似は明治初期で終わりにしたはずなのに、いつの間にかまた同じようなことをしています。

 

困ったもんです。

 

 

 

今日はずいぶん長文になってしまいました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。