こんにちは。

ありのまま2024です。

6回目の記事になります。


私の人生にいたキーパーソン


この3名の共通点としては

すごく優しくて

物事の表面ではなくて

深くを知っていくタイプの人

頭がいい人なんですね。


年齢も80代、60代、50代ってそれぞれ違うし、

職種も医学博士、養護教諭、カウンセラーと

皆さん活躍されてる場は違うんです


いや本当にこの場を借りて

本当にありがとうだし会えるときには会っていきたいし、

恩返しをしたいと思っています


でも一番できる恩返しは

私がしてもらったようなことを

私も誰かにしていくことかなって思って。


これがまた


思わされてるんじゃなくて

本当にずっと思ってて


だからちょっと

しっかり発信して行けたらいいな

って思ってます。


私の実母は

まぁ鬱っぽくて

今は付き合いないんですが

20代から鬱の薬を飲んでるそうです。


人生で2回会ったことがあるんですけど、

彼女は境界性パーソナリティ障害じゃないかなぁ

って思って


私に言うような事じゃないことを

すごい感情をむき出しにして言ってきたり、


ちょっと話にならないぞって思わされる場面とか、

極端に連絡をしてくる時とかあって、


私から見ても

ちょっと鬱っぽい人だなぁ

ってわかるくらいな鬱なんですけど、


私の幼少期の記憶の中に居る実母も

全く笑わない、

暗いキッチンに無表情で立ってる

って言うような人でした


その実母の料理を食べたり、

掃除をしていたり、

私たちのお世話をしていたり

って言う記憶は全くなくって

祖母にお世話してもらってました


ある時、母子寮って言う

母子が避難する場所みたいなところ、

いわゆるシェルターみたいなところがあるんですね。




平成初期の時代なので、今みたいにサポートが行き届いてなくて


以下概要

民間シェルターとは

暴力を受けた被害者が緊急一時的に避難できる施設で

被害者の一時保護だけに止まらず

相談への対応、

被害者の自立へ向けたサポートなど

被害者に対する様々な援助を行っています






私と一個上の兄が

その施設の部屋にずっと子供だけで居て

実母は男の人のところに行ったり、飲みに行ったりして居ませんでした


私たちは育児放棄されてたので

お風呂に入ったり歯を磨いたり、

そういう事ができていない

すごい不衛生な状態で生きていました。


母子寮って言うだけあって

施設ではないので


その母子寮の職員さんが

私たちのお世話をしてくれるわけではなく

私たちがそこから保護された時には

頭にシラミが湧いていて

虫歯だらけで

これはひどいと

大人達が騒いでいたのは覚えてます。

それが年中さん5才だったと思います


それぐらいの時に

実父が母子寮に迎えに来て連れていかれた先が

女の人の家だったんですね。


※ここが現代ではあり得ないですよね

実父が暴力を振るったからシェルターに保護されたのに

実父に引き渡しをした理由が知りたい…



その後、実父の愛人に

すごくボサボサで伸びっぱなしだった髪を

すごいベリーショートに切られて

体を洗ってもらいました


その愛人の親の家が近くにあって、

そこで昼寝をした覚えがあります


愛人のお母さんに

風邪をひかないようにお腹に布団をかける

って言うことをしてもらったんです


頭の中にウジャウジャいるシラミを潰されてたのも覚えてます。



私は当時

そんなに感情がある子ではなくて

楽しい経験や楽しい感情を経験してないから

感情があまりなくって

嬉しくない、悲しくもない

みたいな状態でした。


その後、その愛人と再婚し

そのまま小学生になり

うちって他の家と違うなぁ

って思いながらも

3年が過ぎて3年生の時に祖父が自殺したんです。


父親が自営業をしていたんですが、

借金で首が回らなくなり、バブルが弾け

自己破産したんですが

その借金の尻拭いのために自殺したんですね。




それをきっかけに、

その場所から海を渡って

7時間もかかる場所に引っ越すことになり、

私はそこに20年以上住んでいるって言う感じです。