学会の先生方と共同翻訳している専門書の翻訳原稿の締め切りまであと10日を切った。

草稿段階の訳のときは、もう苦しくて苦しくて、かたつむりみたいに這うような心持ちで一文一文訳していった。

私の電子辞書はフランス語専用のものなので、小学館のロベールと旺文社のロワイヤルという二つの仏和辞書が収録されているが、それだけの仏和辞書では足りず、研究室にある1、2冊の紙辞書も引く。

他に、仏仏辞書としてはPCにインストールしているAntidoteというソフトによる検索が一番出番が多い。

ちなみに余談だが、Antidoteは1万円以上するソフトだけど、フランス語で文章を書く機会が多い人は買って損はないすばらしいソフト。フランスではあまり知られていないみたいだけど、モントリオール大学ではすべてのPCにインストールされていた。

この子、何がすごいって、ただの辞書じゃない。

語の定義、類語、対義語、活用検索がしやすいのみならず、語源や古典からの引用に加え、ある単語がどのような単語と一緒に使われることが多いかを調べることができるのだ。

たとえばその単語が名詞だとして、その単語が主語のときはどんな動詞を導きやすいか、目的語のときはどんな動詞に導きかれれやすいか、どんな前置詞とつながりやすいか、などもリストにされている。

さらに、文章校正機能もついていて、一度PCにインストールするとWordやメールなどで文章を書いたときにAntidoteを起動しなくても文法チェック・スペルチェックをすることが可能だ。

話を戻すと、したがって、私は電子辞書の二つの仏和辞書と紙の仏和辞書数冊と仏仏のAntidoteをベースとして、何冊かの紙の仏仏辞書、さらにネットの無料辞書(Larousseとか)で調べたり、仏英対訳のサイトを活用したり、ほか検索エンジンを駆使して様々な角度からチェックして訳出している。

それでもなかなか思う通り訳せない部分は多くあって、翻訳というのはこんなに緻密で大変な仕事だったのかと、改めて思い知らされている。

たとえば昨日、faire une différenceという表現が出てきて、かなり長い時間つまづかされた。

これは一見なんの変哲もない単語が並んでいるようにみえるのだけど、実はくせもの。

まぁなにもかんがえなければ「違いをつくる」(転じて区別する?差異化する?)としたいところだけど、その文章の中でしっくりこない。翻訳調から抜け出せない。
第一、いくら調べても"faire une difference"をつかった例文がほとんど全く見つからない。

うーんうーん、、、と唸りつつあの手この手で調べ続けていたら、どうもフランス語の表現としては一般的じゃなさそうなことがわかってきた。

「違いをつくる」という意味の場合は"faire la différence"のようなのだ。
つまり、不定冠詞ではなく定冠詞をつかうっぽい。

おかしいなぁと思いつつ、調べ続けていくと、"faire une différence"は英語の"make a difference"からきている英語化表現Anglicisationであることが判明した。

make a differenceとはすなわち、「改善する」「改良する」「力を発揮する」といったニュアンスの熟語である。

そして、ご丁寧にケベック州政府のHP(リンクここ)にfaire une différenceは英語化に由来するフランス語の誤用である、と書かれているのを発見したのである。

尚、この「英語化anglicisation」は嘆かわしいフランス語の退化現象としてケベックでは耳をたこにするほどよく聞く。

(他のフランス語の英語化の例として、たとえば「~に気づく」の意味でréaliserという動詞を使うのは誤用であることは過去の記事に書いた。réaliserは「実現する」という意味で英語のrealizeの意味ならばse rendre compte de/que... である。その他、「墜落する」se cracherやBon weekendやStopなども英語化として挙げられる)

さて、私が翻訳している本はケベック人が執筆したケベックのアイデンティティやナショナリズムに関係する本である。

著名な学者がお書きになられた本であるが、彼は自分の母語で誤用表現を用いたということなのだろうか。。。

まだまだ勉強不足のしがない日本人学生に過ぎない私が、「ぷwこの先生フラ語間違って使ってるwwフランス人の学者なら絶対ありえないwwwケベックだからかなwww」とか思いながらも、その誤った用法に乗っかって、make a differenceの意味で訳すという、私のこの心理的葛藤をわかっていただけるだろうか。

そんなわけで、翻訳は難航している。

これをチャンスとして、以後研究書の翻訳の仕事もバンバンこなせる自分を夢見ているが、一方でこんなに辛くて時間がかかるなんてもう二度とやりたくない気もする。

いずれにせよドMじゃないとできない。

・・・が、一回の仕事は飛躍的にフランス語力を向上させてくれることは間違いない。
ありがたい限りである。