はー久々にアメブロを開いた!
今日もいたって元気です。
なんかちょこまか他のブログとか始めたので、ここは
映画とか本とかの感想ブログにしよう!と勝手に決めました。今。
見てる人別にいないと思うけど!そんな感じです~~
ということで、今回は
恋の罪をDVDにて見直したので、また文をしたためようかなと。
はじめて見たのは、去年の秋かな?
シネマスコーレ初日にいきました。
恐ろしさと混乱と感動と少し眩しい秋の寒さの中
ちょっとふらつきながら帰路についた覚えがあります。
とてもとても強烈な映画なので
心を揺さぶられたのは感じつつも全く感想というものはかけず、
ただ「おしっこ」のシーンが妙にきれいで
たまにふと思い出したりしておりました~~~
でも、なんか昼ドラちっくな劇的?言い回しとか
ラストの「いや追いつくやろそれ!」とつっこみたくなるシーンとか
「うーん」と思うところもあったのですが
今日2回目、久々に見直してみて、
初見で感じた違和感は消え、あぁ、なんてすごい作品なんだ
と再感動。。。
いや、まだ全然、なんもわかっていない、表現も理解力もない
いちファンなのですが
前より、「体を伴って」見ることができたかなと思いました。
前は、ただその作品を文字通り「みて」いたのだけど
今回は、自分の感覚とか、経験とかを掘り起こしながら
見れたかなと。
この作品は、3人の異なる人生を送る女たちの、
堕ちていく様ではなく、
己の内面に体当たりで立ち向かう様を描いた作品かなあと思う。
この映画で何度も引用される、
帰路 の詩、唱えるたび味わい深い。
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言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に
この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
田村隆一詩集『言葉のない世界』
*****
2回目を見終えて
ミツコが何度も口にする「言葉が体を伴う」というフレーズ
に少し歩み寄れた気がする。
ことば とは 必ず意味をもち、
多くの人に、簡単に情報を伝えることのできる便利なツール。
人はこれを発展させ、
何もかもを、「ことば」に依存するようになった。
他者を理解することさえ。自分を理解することさえ。
しかしそれは、
この世のすべてに意味を無理やりつける、言葉にむりやりねじ込もうとする、
危うさを持っている。
おそらく、「恐怖」から抜け出すためだろう。自己防衛の手段。
人は「理解できないもの」に恐怖をおぼえるのだから、
「ことば」を用いて、理解し、征服したいのだ。
その事実の、普遍性の、なんとおそろしいこと。
私が今こうしてブログを書いていることも、
自己防衛といえる。
とかく私は、そうしがちだ。
ことばは意味を薄める
その核に触れることはできない。
(限りなく近づくことはあっても)
(だから私は、何かの体験をしたとき、
その時自分に起こった眩暈や風景や感覚が
自分にとってものすごく大事な、侵されることのない
財産だと思っている。
たとえ他人に間違っていると言われたり・笑われたりしても)
まあそれはともかく
ミツコは、「城」を、ことばとしてではなく、キーワードとして、
己の体全身で、求め、理解しようとした。(ん?なんかやっぱ不自然?)
これは、各々の行きつく先(結果)が答えなのではなく
女たちが、深い闇を理解しようとするその姿がすべてなのだ。
あぁ!
やっぱり混乱してきた。。
とりあえず2回目の鑑賞で書けるのはここまでです。。
映画をがっつり話し合えるっていいよね。




