小学校3年で祖父が亡くなるまで、当時家庭奉仕員(現在の訪問介護)の方が週2~3回訪問して、髭を剃ったり、入浴を行ったり、していたのを今でも覚えています。
また、小学校から帰るとベッド上の祖父と会話にならない会話をよくしていました。いつも天井に向かって独語があるかと思うと祖母の作るごはんに毒が盛られていると食べなかったり、認知症について自分なりに理解していたと思います。
しかし、現実は甘ったるい小学中学と過ごし、その延長線上に高校時代もありました。
音楽が好きで中学生からバンドを組み、ライブハウスのない田舎なので、ライブといえば文化祭や卒業式後の音楽室だったりでした。
高校3年生の卒業の1月。阪神大震災があり、3月に義援金ライブを近くの体育館で行ったりしました。
親を安心させるために北郷町役場地方公務員になり、このまま60歳定年を迎えるものと当初は考えていました。
実際、公務員は11年間。業務は、観光2年・福祉8年・観光1年でした。
僕を大きく変えたのは、福祉担当の8年間でした。
平成10年に福祉課に異動となり、華やかな観光担当時代と比べると少し不満を待っていました。
4月から措置担当だった時、特養や養護の入所希望者の調査・資料作成をいきなりすることとなり、ADLという初めての言葉、素人の僕の調査で入所が決まるなんてと思いながら不安な日々でした。急遽12月から介護保険制度保険者の立ち上げ作業も業務に入り、制度の変革期が味わえる貴重な経験をさせてもらいました。(その時はそうは思っていませんでした。)
つづく