昨日の昼下がり、ふと気を抜いてスマホでニュースをチェックしてしまったら、キャンドル・ジュンさんが記者会見するとの動画配信がありました。ちょっと聞いたら発する言葉が魅力的で、ついつい最後まで拝見しました。

 

キャンドル・ジュンさんのことはよく知らないでいましたが、平和活動家とどこかに肩書が書いてあって、その部分の思いを語る部分も多く、社会へ呼びかける姿に感銘を受けました。すべてを自分ごとにするために旅をしている、というような言葉があって、そこに私の言葉コレクションのアンテナは特に反応しました。旅に意欲がなかった私だけれど、ジュンさんが明確に言い切った旅の目的には魅力を感じました。

 

食糧の安全保障に問題意識をもったのをきっかけに『世界で最初に飢えるのは日本』なども読む中で、消費者が生産者の立場を自分ごとに捉えることが、状況を良くするためのはじめの一歩なんだなと感じていました。で、とりあえずベランダ菜園を始めたりしました。そして、食だけじゃなく、なんでも生きていく上でかかわる事について、ちゃんと自分ごとにとらえるようにすることが、世の中を良くすることにつながるだろうな、と漠然と思っていたところでした。

 

あとあと、人の悲しみのあるところに自分から向かって行ってすべて自分ごとにする、というのは、勇気や覚悟がないと、そう簡単には踏み切れないです。そういう意味で、自分も全然臆病者でなんというか既得権益にしがみついている一人だと思うし、勇気を出そうにも心に無理は利かないから、まだとりあえずおずおずと栽培体験を始めただけ。でも、以下のジュンさんの言葉で、少し勇気をもらえて、何かもう少し前に進める気がしました。会見の全文というのがあったのでそこから抜粋させてもらいますが、

「悲しみが生まれたら憎しみが生まれて、新たな争いが生まれるこの繰り返しをしているだけだと思うんですけど、その悲しみから学び、喜びに変えることができれば、この連鎖は終えることができるんじゃないかって考えました。」

「悲しみから憎しみにという人たちも憎しみを持っていては生きられないから、慈愛の心を持ってそれでも生きてるっていう人たちと出会ってきたから、自分も今の出来事を憎しみに変えることはしてはいけない。常に相手のことを思いやらなければいけないって、そう思い。」


いろんな悲しみの現場を回る中で、悲しみから多くを学べるし、そうやって悲しみを聞いた側と話した側がつながる中で、何かしらお互いの喜びにつなげられた経験・実感があるからこその言葉なのではないか?つまり、悲しみに寄り添うことは、怖いことでも面倒に首を突っ込むことでもなく、自分も得るところが多い上に喜びにつながることなのではないか?

偉いんじゃなくて、本当の自分の喜びを追い求めたらそうなるんじゃないか?

 

お話を聞いていてそう思え、なんか勇気がもらえました。

アラフィフともなればいろいろ悲しみを経験しているし、それが学びや喜びにつながることはそれなりに思い当たるので、その延長線上に、他人の悲しみを自分ごとにし、そこから学んで喜びに変える、があるのだな、と感じました。

自分だけで精いっぱいな人間なので無理は利かないけど少しずつ、トライしていけたらと思います。

 

なんか興奮して、夜更かしして書いちゃいました。