「何もしたくなーい」
と春は、冬場に溜めた毒素が多いと、肝臓でうっ血して、
前頭葉の血が足りず、鬱っぽくなって
こんな風によく思うのかもしれませんが
元気で仕方がないモード(笑)に入っている私です。
前回書いた
「中途半端にしか観なかった催眠講座内での年齢退行催眠」
を色々処理(セルフヒプノ)していると
「潜在意識の表面を覆う変な一般常識」がわんさか出てきて
そういうの嘘じゃん、しょうもないじゃん!
とか催眠下で言ってますと
本来の自分の姿=純粋な平和を思う気持ち、快楽を楽しむ自分、みたいなのが出てきて
自然に元気になる、です。
これが 純粋性の力であり、
人生の【最大の信用】を与えてくれるものだと思う。
いわゆる「元気の源」だと思う。
どうしても元気が出ない時、本当につまらない他人の行動にうんざりしているような意識の時がほとんどです。
物理的な健康状態、よりも
他人を信じられなくなった自分がいる時、元気は萎えると思う。
例えば
エゴ満たしに他人を利用しようとかして誰かが近付いてきた時とか
どうでもいい事に意識を奪われて
純粋性に焦点を当てる自分を失っているような時だと感じる。
もしくは集団欲のメリットに執着していると
潜在意識の底に有る純粋性などというものは
あっという間に曇って見えなくなる。
集団欲のメリットは、
それぐらい純粋性と同じようなキワキワな利益を匂わすけど、
その大半は最低限の孤独や飢えを癒やす「雰囲気を醸し出している」だけで、
不安や恐怖を前提としているから
「毒素の保持」に繋がるし、
実は困っても最後は救ってくれない!
(逆に、攻撃してくるとかだから(笑))
自分の内側に集中しているのは少し孤独だが、
「自分の純粋性に繋がる=ブレない人」でいることのほうが
絶対自殺みたいなエネルギーとは遠いです。
自力が強い人がバイタリティーのある人と言われるけど
その「自力」って
・元気な時は他人に与えられて、
・疲れた時はキチンと休むことが出来て、
・上手い話にはっきりノーと言える
・容易に恐れない
みたいなことではないかと思います。
ブレーキとアクセルを同時に踏むのが葛藤と言われますが
純粋な心にアクセスしているときは
かなり↑の項目に迷いがない=踏み間違えが無い。
安心とは預金通帳残高ではなくて
純粋性を保つものと如何に接して生きているか、
だと思います。
大谷翔平を観てもそうですね(笑)
この純粋性を「神」といい変えて宗教は利用していますが
神は自分の心の一番奥にあるのです。
内側に意識を向けて下さい。
外側に利用出来る物を探すような他人も自分も要りません。
それが元気の秘訣だと思います。
ではでは。