「・・・悪いことしてないよ」




という歌詞のところだけ聞く度「いい子爆裂?」とザワザワしてた
プリンセスプリンセスの「Diamonds」。


何とも聞きやすいかわいく明るい女性ボーカルのその歌詞の前に

「・・・好きな服を着ているだけ」

というのが前についているのを知りさらに驚く。

あの、誰に向けているのかわからない「許可」を取る姿勢、

不自由さを凄く感じるのです。




ザワザワ・・・・



・・・悪いことしてないよ、を思わせ言わせ歌わせる
実体のない圧

これがいわゆる「集団欲、世界催眠、社会催眠」です。





その昔私の通っていた中学は、上の学年が死ぬほど暴力事件を起こして荒れたので
セーラー服のリボンをつけるのを禁止されていた。


余計な装飾を許すから風紀が乱れる、服装の乱れは心の乱れとかが理由らしいがダサい。
とずっと思ってた。

そんな浅いものではないぞ心。

そーゆーのは荒れた奴らにしろよ、と思ってたが


そんな風に事細かく、喜びも自由も奪われてた時代の歌。




今は街に出たら、コスプレーヤーやフリル満載メイド服も珍しくないし
トレンドの洋服や色彩が埋め尽くすような景色もない。

たくさんの人がそれぞれの感じるトレンドを主張し
画一化されていない景色を見るだけでほっとする時がある。



我々の時代はこうではなかった。



ベルボトムが流行った時代から一転してスリムになったパンツのラインが「普通」で
お古のベルボトムを着させられてたクラスメイトがそれだけでいじめに遭ったり

コスプレなんて隠れてこそこそしないとそれこそやばい時代。

隠れてやっているのさえばれたらいじめに遭いに行くようなもんだ。

アニオタはいじめの対象だった。

村上隆がオタク(文化)をルイヴィトンで展開して価値を認めさせた後の今とは全然違う。



「好きな服」を着るだけで「悪いことしてないよ」と断らなくてはいけないような時代だった。

だから私はあの歌が流行ったのかななんて思う。

大人は奴隷を認めるような歌が大好きだから。

いい子洗脳したい大人からしたら、子供が都合よく奴隷に流されている証のような空気さえ感じる。

それはそれは、喜ばしく思うだろう。




あの頃生きていると、日常の服装は、その地域、その年齢、性別、その人関係の空気を一ミリも外すな、みたいな空気があった。

今も多少はあるだろうけど、まあ、私の過ごした田舎は田舎独特の閉そく感があったかもしれない。




だからあの歌を聞くと、昔の不自由で型にはまっていて死ぬほど狭かった価値観の空気を思い出して、本当に憂鬱になる。



そんなことまでいちいち断らなくてはならんのか!

たかだが「好きな服」一つ着る、だよ?



しかも歌の歌詞を読むと、一瞬のきらきらした時間を集めるみたいな楽しみを歌っているような内容なんだ、と初めて知った。


・・・頭に入ってこない。


決して歌自身やアーティストを非難するわけではなくて
私にはそう感じる
、です。








時代が進んだからと言って、街の服装がそれぞれになったからと言って

自由が多くなったかというとまた新しいひずみが生まれていたりして

エゴ(我欲)や社会の洗脳、世界催眠、集団欲に気づくための人生は
まだまだ闘いの日々
という感じですが



私が「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」に感じる

・・・
びくびくと、

【他人と違うことをするとか自分が好きなことをする、に対する怯え】

みたいなものって、未だに強いなー、と思う。


それは個人が勝手に作り出している思考もあれば

やっぱり世間の圧感じて対応してしまう人も多いのでは。





結婚とか出産とか子育てが上手く生きません、という人にはいつもこれを感じる。

自分の心の奥深くの純粋な感情で判断したら、悩んだり迷ったり解らなくなるってないと思います。


で、やっぱりその人たちに感じるのは、
「変な偽の宝石集めに走っているような雰囲気」
だったりするのだが



例えばひまわりにバラの手入れや肥料をやっても上手くいかないように


世界にたくさんの種類の花があることや、
自分や子供がどんな花か知ることも出来ず

バラをやりなさい(→教育虐待?)、
とか
花を咲かせないようにする(→虐待の全て、毒親の支配)、

みたいなことを何となく押し付けられるみたいな空気ってあると思う。




あんなに売れたのに「世界に一つだけの花」の本質的な理解が出来てない人多い。






それは、上層部とか支配層とか目上の者、社会が押し付けてやらせているのではないよ。

個人が内面の貧しさを育て、爆発させているだけだと思う。




私はコロナ後、このことを強く感じるようになった。



多くの人は、知らないお金持ちや権力者が不幸を作るように画策してる、って言ってるんだけど、

被害妄想に浸れば楽だもんな、と思って観ていた。

自己憐ピンに走れば、エゴと戦うなどという世間に分かりにくい面倒なことしなくて済む。


でも個人の許可なく現れる現象などないと思う。

エゴと対峙したことがある人は分かると思うけど、自己研鑽とは厳しいものです。

だから大きな力とか権力のせいにしたら楽なんだよね。



まあ例を言えば


薬バラマキNO!なんて言っている人たちがもっぱら食べてたのが、都合よく面倒くさくなく食べられる薬にまみれてる食品だった。

食べるのは自由だが、同じ値段でオーガニックとジャンクが並んでてもジャンク食べるような食べ方だった。

それはつまり「薬好き、薬OK」、ってことだったから、ああそりゃ薬のばらまきおこるでしょう、と思う。


だからって、政治家のあけらさまな犯罪を許すとか思いませんけど



これは、政治の話にとどまらず、

変な社会の既成概念を実は愛しています、って人は多いと思う。


ホントの自由や快楽や楽しみも悦びも知らないから、だと思う。

親奴隷に気づけないほどの不快に慣れてしまっている貧しい人は多い。




悪いことしてないよ、なんて断らなければ好きな服も楽しめない空気感、

悪いことしてないよなんて言いながら行動しなくてはいけないような環境は
まだまだいっぱいある。



最近はもっぱら、親や世間体には悪い事してないよ、とやりまくって

悪いことが何かわからなくなるまでストレス溜めて、
その姿を自己肯定し、

変な依存症まき散らして問題行動する人が騒がれている世の中(→モラハラや性加害)だと思うけれど。

ねじれてるよね。
どんどん嘘が巧妙になってる。






不自由が生まれる元は
【個人の恐れ】
、だ。



楽しいことがわからないから恐れ、怯え、

世間が認める変なダイヤ収集に走って安心するような人生は私は要らない。


本当の輝きだけを手に。



そんなことを「Diamonds」に思った次第です。

ではでは。