(見た目は良いけど味の足りなかった町中華。)







この間亡くなったミュージシャンのヒット曲が流れていて

改めて私はその曲を


「・・・自分が放つ「愛」をこれだ!と見つけている人だけが理解できる歌なのだろうが、

そういう人は世の中には少なくて、

多くの人が何かを選ぶことすら暗に許されず、

許された囲いの中に誘導されてやらされていることを

「愛」だと勘違いさせられているような世の中で、


これがヒット曲になるっていうのは
・・・深く聞く人が少なかったのか、勘違いが多かったのか。」



と思ったことがあった。




「愛は勝つ」という歌だ。




この時代は

「信じること、逃げ出さないこと・・それが一番大事」とか

「負けないで・・・」とか

立派なことを簡単に言う歌が多かった。


鬱の私にはまるで洗脳にしか聞こえなかった。



その全てが電気グルーヴの「カメライフ」のバックコーラス、
「ガンバレ、ガンバレ・・・」みたいな歌に聞こえた。








愛は勝つ、という歌の中には流行っていた当初(’91の歌だそうです)から、いくつか?と感じた歌詞があった。



愛は勝つ、というタイトル自体がまず?だった(愛でないものが誰かに響くことなどないというのはみんなが知っていることだから・・・)けど



「心配ないからね・・・」というのが

今も、ザワザワします。




とある歌手が「歌を歌ったらその歌詞に責任を持つことが発生する」と言っていたが


例えば「愛は強いよ」と歌ったら、その人は愛は強いというアンバサダー、責任者になったようなものだ、というのだが

それから言えば

「(あなたのやっていることは必ず通じる≒)心配ないからね」というのを、彼は世に流す時点で責任を持つということになるが

そんなことは私は他人に言われることではないと思うのです。




心理カウンセリングなどでも、深刻な悩みが持ち込まれて、そんなときにカウンセラーが

「大丈夫だよ」
「心配ない」

というのはご法度、です。有名な話だが。



それは
自分が自分にだけ言える言葉だからです。




容易に他人が言えばそれは明らかなウソだから、鬱の人にはショックでしかなく、

命の最終ガード先で人間不信→自殺に追い込んでしまうNGワードだというのは有名な話です。





例えば

1億円の借金があります、すぐに返さなければならない、どうしたら返済できますか?

という悩みには

1億円の借金をすぐに返す方法を知っている人と、
1億円をポンと差し出すことが出来るような人だけが

「大丈夫だよ」「心配ない」と言えるものだと思います。


これ以外の人が言うならば、それはもう、相談でもなんでもないエセ紛らわし事、だと思います。



そういうことを、「愛は勝つ」の歌詞は、容易に行ってしまっている

そんな気がするのだ。


それって、・・・やばいことだと思うのです。自殺洗脳になる可能性が高い、ということ。安易で容易に感じます。


そして「負けないで・・」と歌っていた歌手は事故か自殺かわからないような死を遂げたのを思い出す。





90年代というのは、こういう「とにかく闇雲に限界まで・・・」みたいな歌が多かったし、私は時代の先端にいたのか鬱に倒れた。



「カメライフ」、という歌の話は前にもしたけど、

「ガンバレガンバレ・・・」と歌っているピエール瀧がまさにそれをやってしまって麻薬に手を出したけど

本当に

「頑張れることを
伸ばせばよい」

(→結果、誰かに分けられるエネルギーの生産に繋がる)
みたいな簡単な人生のシステムが分からない人は今も多い。



だから、愛は勝つ、を安易に信じて時代の波に呑まれ、
自爆死するかのような過労死や自殺の増加が’90年代には多発したのだと思うけれど


未だにこのガンバレ洗脳は衰えることも知らず、

愛の構造すら学ぼうともしないで

変な情報検索して子供を誘導している大人の多いことには悲しみを覚える。



生きる、が妙な情報の乗り物としての肉体を生んでいるだけの活動になってやしないか。

子供は大人のリベンジの道具ではありません。




こんな文を書いていたら、中島みゆきの「愛だけを残せ」という曲が流れてきた。



「♪選ぶつもりで 選ばされる手品・・・」

・・・子供は自分のしたいことを知っている、それを伸ばすだけ、

って言っている親でも、ネット上の情報とか有名医師の言葉から洗練させた情報を言っているだけで、

手間暇や損失を最小限にしようと、子供に自分の思考の枠外のことをやらせないように、

上手く情報扇動して、想定内の檻の中に誘導→自分の過去のデトックスを叶える、

とかほんと見過ぎてて、


・・・・自殺したいと考える子供が1.6倍になったとか、ホント分かるんですよね。


医者なんてサイテーの仕事、自由に生きなさい、なんて子供に言いながら、しょっちゅう怒っている親が医者という権威にはへこへこいい顔して奴隷する姿見せるから、子供は医学部に行くとか言い出す、みたいなねー。

こんなことさせて脳を酷使して鬱になるんです。


・・・ホント舗装された道を、出来たら高速道路を子供に行かせようとしますよね。

それって愛?







愛に飢えたことがある人ならば愛は知っているし、愛じゃないものが勝つことを許すなどを容易に行わないっていうのが大人ではないかと私は思うのだけど。

・・・例えば愛してもくれていないような家族などは家族扱いしなくていいとか。

権威を愛だと無条件評価するなんて不要
ですし。。。




そして、誰かに愛だといわれたから、自分が信じてやっていくことを決めるなどということをしても意味が無いと思います。

心理カウンセラーに大丈夫、心配ない、と言われたからそれを信じる人がいないのと一緒で、

好きとか楽しい、心地いいは自分だけが言えて、納得させられるものだと。

・・・・そんなことを思った次第です。




音、音楽、歌というのは怖い。強烈な催眠になるから。気を付けないとね。

嫌いな音楽を聴くような人になったら終わり。

ザワザワしたときは、それがどんなヒット曲でも気を付けてください。

「あなたにとっては」気を付けなければならないものだったりするかも。


死人の悪口は言いたくないし、この歌が流行った当時は流行に逆らうみたいなことは絶対出来ないような空気感がありましたのでこの話は書くのを躊躇したんですけど・・・

自殺が増えていると言われる世の中にとって大切なことだと思った自分を信じて掲載いたします。


ホント大人が「愛だけを残す」努力をしないと、子供、大変な目に遭うと思います。


大人は記憶を浄化し、過去を手放して、洗脳に気を付けて、自分を生きてください。






ではでは。