(本日一番手間がかかっているのはヴィシ・ソワーズ。
ちょっと手を抜くと乳製品を味わう料理になる繊細さ。
なお乳製品はかなり無理になってきたので豆乳に頼っています)









最近「色んな恋愛や結婚のかたち」についての映像に追いかけられている、


と気づいた。


キャリアを追いかけて結婚とかは想定外だった女が肉体的なバランスを崩し、彼女を猛追していた男がとうとう結婚を懇願する羽目になり・・・みたいな始まりの結婚生活の話とか


他人に近づけない

自閉症スペクトラム障害の女性の恋愛の話とか



・・・








前回も「色んな【人生のカタチ】があるというイメージの欠如」みたいな話を書いたと思うのですが





いまだに根強く、結婚して子供をもって孫を抱いて、みたいなのが「普通」なんて言われている世界。




それぞれの命にとって【大事なことが違う】のに、

「超狭い枠の一般的」とは形の違う人生を歩むことが、
一部の親の奴隷になっているみたいな人にとっては劣等感に繋がっているようなことすらある。


そういうのに私は疲れていたのだと思う。




そんな中で、

仕事のことばかり考えてきて、結婚してもセックスできない、相手は信頼している、みたいな結婚の姿や、
相手に触れることが厳しい、みたいな恋愛の話を観ていて


最終的には


あの映画、


「グラン・ブルー」を観る羽目になったのだと思う。





あまりきちんと観たことがなかった。

どんな映画?と言われたら、・・・潜水士の映画だとだけあるような不思議な映画で、

本題、みたいなものを考えたり気づいたのは初めてだった。





この映画、「超・魚座・・・」とか感じてしまった。
(監督のリュック・ベッソンは魚座です)

そして、この映画「言い知れぬ苦しみ for 世間、女」、を描いているのだなあ、でした。



彼らが「息を止めて」潜る目的は、まさに家族や女や世間のあれやこれやが完全に消える世界に惹かれるから、

人の純粋な感情とは・・・


みたいな事を問う話なのではないかと思った。






主人公の、笑顔が最高なジャン・マルク・バールは人間よりもイルカと戯れていて、


「女(男もほとんど)はなんとなく意識外にしている」生活をしていて



その姿はなんとなく「親がいない環境で育った」人物なのではという感じでぼんやり観始めた。


(死んだ潜水士の父がいる設定らしい)




美人に出会って主人公は一旦恋に落ちるけれど、なんとなく恋愛にのめりこめないし、彼女と一夜を共にしていても、冷静に目を見開いているシーンが続く。


そんな中で、「母親に支配されている」よくあるイタリアのマンマの模範奴隷風のライバル潜水士が、女や母親がうるさい、と言いながら潜水の記録を伸ばす。



彼は最終的に、無理な潜水をして息絶え、海に散っていく。



主人公は彼女に「潜っている時はどんな感覚なのか」と聞かれ
「滑り落ちる感覚だ」といい、

そのあと、とても核になるようなセリフを吐く。




(潜るのは簡単だが)「戻ってくる理由を見つけなくてはならない・・・・」



やはり彼が「実家」と言って彼女を案内したのは叔父、の家で

ずっと世の中のいろんな空気を味わえないとか、いろんな思いがあって海に潜っていたのだ、みたいなことが少しだけシーンで語られるような映画。





彼女は妊娠するが、それでも主人公は潜水を止めない、みたいなところで話は終わったのだったかな。


途中でやっぱり、女のほとんどが洗脳されているような話・・・大きな庭付きの家に住んで、犬を飼って、子供を育てる・・・・というようなことを主人公の彼女も語っていたのだが

そういう【大きく普遍的な悪霊のような洗脳】に、

「息をつめて、偉大なるブルー(憂鬱になる、もしくは純粋性を追求する)を求め海底へ進んでいく」男の永遠の課題、

・・・悩み、憂鬱のようなものを描いているのではないか・・・と感じた。




魚座というのは心の受け入れ態勢がMAX、情に流される、決定する意思の弱さ、感情などの境目がよくわからない、を物凄い体力で受け止めていく

みたいな人生だと思いますが


・・・世の中の喧騒を一蹴してしまいたい、悟りの境地をどこまでも追求したい、という姿が、


いろんなものを受け止めている半面、逃げたい一心で「超複雑なものに潜り込んだりはまり込んだりしている」魚座の姿に、




「グラン・ブルー」の男たちの姿が重なりました。




世の中のスタンダード、を自分の人生で必ずやるとか、大事にするみたいなことはホント無くていいと思います。



自由な時代、自由な世界、自由な人生という言葉はまだまだ表面的でしか無いからわざわざこんな事を私が言う羽目になっているのだけど・・・



海の底に潜っていく男たちの姿をみて、


熱くなれないSEXのシーンを見て、



もっと人生を自由に創造出来るようになればいいよね・・・・と思わんばかりでした。




SEXしたら最高、とか楽しい、とか欲が満たされる、みたいな概念も、人によるのではないかと最近思う。

これだけ親の虐待や支配が強い世界で、性に関する意識がゆがむのはもう当たり前だと思うし(両親との関係性が恋愛の基本だから)、LBGTQなどの普遍化は当然ですね。



SEXが満たされないから夫婦をやるのは違うとか恋愛は無しとかはそれぞれが決めていく時代だと思うのですね。


SEXが本当は大したことではないのに、みたいな人も最近すごーく多い気がしてます。それはそれでアリだと思います。

気が付いている人はまだまし、催眠しても出てこないかもと思うぐらい世の中のスタンダードな話とされることに洗脳された人も多い世の中。



もっともっと自由に、色んないい時間や、色んないい関係性を創造していく時代だと思います。

息を止めて潜ったら帰ってこれなくなる、みたいなのは、

世の中の概念に息を止めて従って生きている幽霊のような人の暗喩のようで、見ていて悲しい。




そんな人が一人でも減ったらなあ…と思わんばかりです。