以前にこんな記事、を書かせていただきました。

改めて、催眠療法を受けようとする「冷静な」ひとへ


というタイトルで、




催眠で自らと向き合い、ケアしたいと思っている人のために書いた記事です。




勘違いされやすいみたいなので、もう一度申し上げておくと


催眠療法は精神病の人のケアではありません。

もちろん、治療でもありません。

  



通常の社会生活の中で、


どうしても努力で越えられない問題、

上手く行かない関係性、

自らの我慢が大きい、

失敗パターンを消したい、


主にこうした人に向けて行う過去の記憶ケアで

行動習慣を改善し、

人生全体を変えていくことを狙うセラピーです。






コロナが終わってもうしばらくが経ちますが


上の記事を書いた、コロナが終わりかけた去年の後半ぐらいから



世界の変化を受け入れられないのだろう、


自称精神病、


の人の問い合わせが定期的にあります。



その殆どが、「問い合わせ」と称し


無理なスケジュールで執拗な催眠療法セッション欲求を懇願して予約とキャンセルを繰り返したり、


精神病で完全に混乱した状態で辻褄の合わない同じ話を長々と繰り返される、


同じ説明を何度もさせる(短期記憶もままならぬ状態)、


中には非常に失礼な「あなたに催眠されたら支配されますよね?」というような中傷とも言える行為に走ったり

(多分分裂病、統合失調症のようでした)


という、迷惑行為です。



改善の参考を得たいとか催眠療法をされたいのなら、このブログ、他の人のブログや私のHPをよく読んでいただく以外に説明することはございません。



(守秘義務を負っています)





私自身も鬱や不眠の経験があります


精神病のかたの行動パターンを分析すると、

色んなものが見えてきます。



その経験上から言わせていただくと、


先月ブログにも書かせて頂いたように


鬱や統合失調症に陥るのは


「やりたいことを探せていない」


「今迄行なっていた行動パターン、人関係等を

手放す必要があるのに、信じて執着している」


ということのどちらかだと思います。



表向きは一般常識、という話にはなっているが実は個人で選べるような世間一般的な行動を信じている、・・・みたいなことだと思いますけれど、




鬱です、統合失調症です、という人が


長々と疑い、孤独を紛らわすために話を続け、

催眠セッションを急に懇願してくること一つとっても


一般的には自分勝手な行為と解釈されることは明白だと思います。


誰かの都合など考慮しているつもりで、結果していない自分の行動に執着することで苦痛だらけでストップかかったり(鬱)、


変な嘘に生きる役者みたいな生態を身につけ場面によって都合に無理に従ったり従わせようとする(統合失調症)


そんな事が起きているのではないのでしょうか?





・・やりたいことがわからないから病気を治す理由もない、

お金を払い懇願すれば何でも叶うと行動してしまう、


これらの底にあるものは、何でしょうか?







・・・それで、今日のブログのタイトルは


「人生は平等かそうじゃないか」


というものですが


私は基本的に、人生の可能性は全ての人に平等に存在すると思います。



ところが世の中よく観ると「あれ?」って時々思うのです。



なんにもいいもの得てない、人っていて、

更にそういう人がどんどん変なこと引き寄せているのを観たりして


・・・例えばそういう人のところでは、祝の席で自分だけ品物が足りないで貰えないとかが起こったりするのだ。





例えば上に書いたような、精神病さんたちの

問い合わせと称した一連の迷惑行為も一例だけど、


人によって、もしくは病院などでは


「いいよいいよ、病気だから仕方がない」


って扱われるのかもしれないし、


人によってはそう思われるかもしれません。




でも私は、自分の拘り、執着に生き、


迷惑行為になっているような場合の


「神様の秤」には、

多分そんな意識はなく、


きちんと因果応報で返っているから

不平等甚だしい人が存在してしまうのかな、


などと思います。





大体、鬱や統合失調症の原因って、

過去に起きた悲惨な状況から逃げるために、とか


過去の苦しみから逃げるために行動を起こして

最終的に執着していますが



その過去については慈しみを覚えますが、


 、個人的な過去の恐れのリアクションだけに生きる事が時に迷惑行為の元になっているのです。




この


「おそれを手放さない人生」


に対し、


神の裁きは厳しいのだな、


と私はよく思います。



そして不平等は生まれ、新たな怒りが生まれ、略奪が起き、戦争が起きていくのかも。






私は悪くない、絶対悪くない、正しい

と言って生きる人生は簡単で楽です。




でも今手元に何も恵まれたものがなく、

あれ?って思う事が多いのならば


過去の恐れを手放し、

勇気をもって

今の環境下の拘りを捨てることで


略奪や迷惑行為を少なくしないと、


延々と不平等を味わうだけではないかと思います。



世間や精神科医は肯定し慰めてくれても、人生の喜びは訪れません。

病で自分が苦しむのは自由ですが

病の進行や保持の上に起きる気づかぬ迷惑行為は、

自分の首を締めるだけです。



恐れを捨てたい!と思ったら、ご相談下さい。


私はそういう人の為に全力を尽くします。