先日、交通事故で大学に入ったばかりの子供を亡くした父親の話を読んだ。


軽自動車に4人乗っていて、停まっていたところに大型トラックが突っ込んで、4人のうちの2人が亡くなった、

という事故のようだったが

この4人は赤の他人、なんと闇バイトで犯罪を犯した帰りの事故だったそうだ。





事故死でわかった子供の実態がつらつらと書いてあった。

大人しく問題のない子供に育ち、大学に進学し一人暮らしを始めた。その最初の帰省で髪を金髪に染めていたが、親はそんなに異変を感じなかったのだという。

死後一人暮らしの彼の部屋から派手な名刺が出てきた。

彼はホストをしていたらしい。で、髪を染めていたのだが、短期間でドロップアウト。

ブレイクしたらお金はもうかる、女の子にももてはやされるけどそんなに甘い世界じゃない。

それで闇バイトを始めたらしい。検索履歴が残ってた。


当日集まった知らない人間と車に乗って地方へ出向き、盗みをやって帰る途中の事故死だったそうだが


大人しくしていた田舎の生活で、彼が夢見たりイメージしてた心を育てたのは何だろうと思った。





その記事を読んだ後に、猟銃で近所の高齢女性2人と警察官を撃った事件が発生した。




田舎というのは暇で、接する人間か限られていて、色々と考える時間があるけど、

情報といえばTVやネットだけで、経験が限られている。人が少ないということだ。



事故死した大学生は田舎の暇な日々のな
かお金の価値観だけを育てられ、ホストや闇バイトみたいな簡単にお金を稼いで自由に、みたいな心を育てたのだろうし

猟銃殺人は、仲良しの近所の女性たちの視線と自らの経歴に対する劣等感から馬鹿にされているという妄想を抱き育てたのだろう。




田舎の情報源は限られている、といったが
「子供を安全に育てられたら」それでいい、みたいな田舎の親の話は多い気がする。

まさに家畜のように囲って育って、いずれ養ってくれ、みたいな。



あれやこれや誘惑や危険がない、という意味で田舎はラクなのかもしれないが

子育てって体験命、他に接する人が少ないのだったら親との関係性命、みたいなところがあると思うけど

安全に大きくなって、ある程度普通にやって育てば、みたいなことの落とし穴が、これらの事件に感じられた。


楽しいことがなにもない中でなんとなく責任だけを匂わされる田舎の生活は、イージーなお金儲けや妄想を抱く暇を彼らの中に育ててしまった、そんな気がする。




子供の安全や順調な成長は親にとってそれは大切だと思うが

変わり映えしない、退屈な人生を歩んでいるのを観ると時々、結局人生の楽しさとか醍醐味とかを教えることをイメージしないで機械的に子供を産むみたいな人が多いのだろうなあと思う。



親がなんとなく上手く面倒くさいことを避けて子供を家や学校に閉じ込めている中で、

TVや雑誌やネットが、「お金さえあれば自由になるよ」とか、「有益な人の条件」「幸せの条件」を孤独な田舎の子供に刷り込んでいく。


そんな検索や刷り込みを許すのは、孤独、なんだと思う。




猟銃殺人の男の妄想は、田舎の異端児だった私には想像できる事件だった。

田舎の路上で人が集まれば、すぐに変わった行動をする人間の報告会や査定が行われる。

中に入れない人間は追い詰められ、どんどん小さくなって病を発症するとか悪事を働くしかなくなるのかもしれない。

そういうのが嫌で親にも全く未練はなかったから私は田舎を出たけど

猟銃殺人犯すまで妄想を膨らまし我慢して田舎で親に安全に守られてきただけの人間の悲しみ。犯人の顔に感情豊かな筋肉は育っていない様子だった。


この人にとって「楽しいこと」って何だろうな、と思った。




人間らしさを失うまで孤独にされ守られて生きてきただけの子供をよく見かける。

孤独の末に簡単に変な情報に呑み込まれて怒り続けている人間を観ると、なんかの霊にしか見えない時もある。


水瓶座の時代は、「個」、がテーマだから、孤独な時間をいかに創造に利用するかで差が出てくると思うけれど、変な情報と世間体に弄ばれるようなことには気を付けたい。

世の中には今「最大の風=最大の(不要・要)情報」がばらまかれている。

変な情報を変な妄想に変換するのも水瓶座の得意分野。

「情報憑依」というのも水瓶座のテーマ。気を付けなくてはならないテーマ。



安全な場所に子供を放っておくことと、個を育てる・大切にするって違う。



変な流行りのテーマパークや遊びや学びを金かけて必ず叶える必要はない。
金を十分に与えてモノを豊かにすることだけではない子育て。

子供に視線を向けて、耳を傾けてほしい。そう思います。