(つつじ、1か月ぐらい早い気が。
我が家のジャスミンももう咲いちゃった。ゴールデンウイーク過ぎだった気がするが)
先月、「自称親ガチャ当たりさんっているよね」的な記事を書いた。
漢方の「望診」ってありますけど(顔に過去が出る、抱えてた感情の結果が出る)、
ああいうの観ているだけでも「親ガチャ当たり」の話って
他人が言っている場合は、隣の芝は青い話、ってかんじがして
自称親ガチャ当たりさんの話は、日本を覆う親孝行洗脳の酷い人かな、・・・って思うんです。
例えばTVに出ているような有名人で「家庭で怒りを抱えてました」っていう望診のサインの人って多い。
つまり外に出ている方が楽で、そのうち芸が身についてスポーツ選手になったとか意外と多いのだなあ、なんて感じる時がある
有名人になったら「対社会」に対しての感情についての苦悩が顔に出そうな気がするんですけど、意外とそうではないと思うと、
みんな家庭の何か大変な状況があって、は当たってると思うし、その大変なことにフォーカスするかとか、逃げた先で楽しんだかどうかだけが差になるのだなあと感じる。
私が誰かを不幸だなあ、と感じるのは、
過去の苦難とか不幸に気づけないでなんとなく生きちゃった人のどうしようもない結果を見るときです。
気づけない、というのがほんと大変。
で
この間、県内で「赤ちゃんを実家の庭に埋めました」事件があったのですけど。
最近コロナの時の閉鎖の影響なのか、孤独を性で紛らわした人の赤ちゃんを産み落とす系事件が多い(インドみたいになってきたな・・・)のかな、と思ってますが
遺棄の場所が実家の庭というのはまた、なんとも暗喩めいた事件だなあと思った。
私はあの事件の加害者=娘さんは多分、「親や一般的な人生の奇妙さに気づけなかった」犠牲者ではないかなと感じた。
まあよくある感じの家族構成で、家族の遍歴を近所の人が語っていたけど。
「土に返したい」とかそれぐらいの理由だったのかもしれないが、花壇に遺棄。
暗喩めいている。
「花壇」というのは、
夢や催眠で出てきたときは「外の人に対するおもてなしの心」などの「外の人を意識することが多い人」が景色として出すと言われている。
家=自分ですから、その前の飾り→花壇は、=エチケット、前置き、宣伝、警戒、見栄、オシャレ・・・などだということです。
夢だけでなく実際の花壇の様の奥には、色んな潜在意識があると感じる。
立派に整えられていてもそれは警戒心かもしれないし、
おもてなしの心があるといえば長所ではあるけど、
ある程度人選を厳しくする人かもしれないし、
幸せな家族像・ソトヅラをよく見せるアイテムでもあるし、
・・・丁寧に整えられた庭は、暇がある家人がいる、ということだったり。
キレイな庭だから、植物好きがいるという訳ではない。
あるキレイな家の、キレイな花が咲いている庭先で、怖く暗い顔のおばあちゃんがきれいな花壇の世話をすがるようにしていたのを見たことがある。
庭が荒れているからといって、その家の住民は「植物の世話する暇もないほどの忙しい充実した日々」を送っているかもしれないですし、庭付きの家にいるけど基本興味がない場合だってあると思う。
色んな場合があるのだけど
あの事件では
春は「これから育てよう」とする庭いじりのシーズンで、
親が庭を掘り起こしたら、うつぶせの見知らぬ死んだ赤ちゃんが出てきた。です。
この景色、娘のインナーチャイルド、まんまだと思いました。
美しい庭や手入れされた庭を観たら一般的に近所の人は安心する、と思います。
でもそれが「幸せな家族」の外へのアピール目的だったら、です。
外へのいい顔の元=土の中、には「望まぬ妊娠してしまった子供のはらんだ胎児」が息苦しそうに埋まっている。
=親の美しいソトヅラ(庭の美しい植物)は、娘のインチャを犠牲に作られているの!
みたいな感じだと思いました。
私は、催眠出産の講座もするのですけど、妊娠の話って凄くて。
出産の理由はその人の人生全体の「作品の作り方」をあらわしているんです。
某、催眠出産の講座の場で来てた受講生の母親は、全員こんなこと言ってた。
「彼と別れたくなかったから、私多分最初の子供を妊娠したのだと思う」
「結婚してどうしても家から出て、父から逃げたかったから」
「妊娠出産することで、ずっと卑下してきた毒親から認められたかった」
自らの身を守ったり、孤独を埋めたり、そういう理由が多いんですよね。。。
↑こんな本音は、日常会話では気づけないし出てきませんけど。(催眠に入ると出てきます)
赤ちゃんを埋めてしまった女性は、どんな理由で妊娠・出産に至り、庭に埋めたのか。
でも死んだ赤ちゃんを持ってしまったことは確かで、親が掘り返すだろう庭に埋めたのも確かなこと。
今までの彼女の人生は「何かを生まされる、育てられない、親の見栄の奴隷、自分の人生は親の見栄を育てる肥料や栄養のように使われる」だったのだろうなと思ってしまう。
一般的な「普通の家族構成」と、花壇のあるような家の中の闇が何か暴かれたような事件だなあと、なんとなく感じた。
周りの人は優秀な子だったとか、保育士さんという感じのいい職業、とか、色んなものに紛れているけど、彼女を犯罪に走らせたのはコロナの孤独や年頃、という理由だったのだろうか。
私は「ただの若いころの過ち」なんていうのは無いと思う。
異様な寂しさが家庭内で育っていなければ、強烈な交際に走る心は生まれないと思う。
親に対するアピールのようにも安易な埋め方からは感じられる。
明るい成人式の写真も、きっと幼少期からのアルバムも、彼女の家にはあるのかもしれない。
こんな事件さえ起こらなければ、きっと彼女は「普通の家の優秀なお嬢さん、親ガチャにも外れてない感じ」の人に見えたと思う。
こんなことが多いと思います。
なんとなく、派手な虐待や大きな事件が無かったら、自分の地味な悲しい人生に気づけない。
時代的な圧とか、大人になった段で少しずつ親の抑圧が表面化してきたりとか、
結婚して子供が出来て、その子が不登校になったとか、
多大なストレスで我慢が限界に達したとか、
大きな病になってしまったとか、事故に巻き込まれたとか、
困難があって初めて、その「存在=トラウマ」に気づけるみたいなことは多い。
今はコロナ後のいろんな「最初の水瓶座の時代の結果」が出てくる頃なのかもしれない。
水瓶座は最大の交流、なので、情報過多、交流過多しがちですが、それらをコントロールし「個」の時間を大切にすることが才能開花の肝ですが、
水瓶座の交流過多の陰には孤独への耐性のなさ、自信のなさが隠れてたりします。
これは「現在の全地球の反省点」だと思います。
この何年かで起こった事件をよ~~く顧みると、「水瓶座の時代の影響」で失敗することが減るのだと思います。
「親ガチャは外れているのか当たっているのか・・・」っていうのがほとんどの一般的な人の姿なのですけど
(※この親がいい、と選んでくる説は私は信じていない。満足いくオーダーを叶えてくる子供は少ないと思う。ほとんどは「妥協点」、「第一志望」ぐらいを叶えている程度に過ぎないと思います。これはほとんどの人関係でもいえると感じる)
・・・「毒親に気づけた」っていうのは、しばらく怒ったりしなければならなかったりするから苦しいかもしれないけど、魂の解放の段階としては一つ上、だと思う。
はっきりと憎むことも出来ないし、満たされることもないだろう親に気づけないよりもましだと思うのです。
それでなんとなく流されて、・・・・自分が何者か分からなくなった人は狂いますしね。
こんな事件を観ていると、そう思います。
ではでは。