(有松街道沿いの景色)






先日「魔女の生まれ変わり典型例」と言われる(笑)
アンジェリカ・ヒューストンの有名な
「アダムスファミリー2」をチラッと見た。



ホラーな薄暗い屋敷に住んでいる正直な人々。

中学生と小学生の姉弟は、下に赤ちゃんが生まれて
お母さんを取られると、嫉妬で怒り狂う。

赤ちゃんを殺そうと必死!!!

・・・・

これが、脳の中の超自我、みたいなやつ(笑)

一見ホラーだが、催眠したら出てくるから。こんな記憶は!
・・・映画のデフォルメはあれど!




あのおうちの中は、つまり、日常なかなか接することのできない大脳辺縁系
(私が脳深部と呼んでいるもの、記憶層)をあらわしたものだと感じた。



あの一家は悪い人じゃないけど奇妙だ、と思われている。
暗くて怖い屋敷、でも金持ち。こういう感じだろうけど

まさに辺縁系は「何が記憶されているかわからない」が「最高の財産」でもある。

でも辺縁系=直観、直感に生きる、って
アダムスファミリーのように

遠巻きにされる。
奇妙な人扱いを受ける。

これが世界。

確かに自然催眠状態=辺縁系に生きる=幼少期、のまま大人になったら、
セレモニーもじっとしていられないし、
はっきりと難点を口にして人を傷つけたりするだろうし、

・・・とても無邪気だが大変な世界が繰り広げられるだろう。
・・・幼稚園に保育士さんがいない世界。



で人々は本心を隠し、集団欲の声を聴き始め、守ってもらおうと従い始める。
「大脳皮質」が出来、辺縁系をあまり感じさせなくした理由はそれ。

それでも最終的には辺縁系の支配で生きるしかないのが人生だが、
コントロールやバランスが必要、というわけ。

辺縁系の記憶にもいろいろあって、まず大体の人が最初につながるのが恐怖記憶。
これが最も優先される。

優先されるが、そればっかりやっていても、
「鎧が重すぎて逆に身を守れない」みたいなことが起き、
ポジな記憶にアクセスすることが少なくなる。


昨今問題を生み出しているのは
この危険情報依存をしすぎてバランスを失っていることが多い。

アダムス・ファミリーはだから受けるんだろう。
ある意味で釣りバカ日記と同じ。

タブーを生きて自由を生きる夢の存在なのだと思った。








・・・
ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」をそんな中、観た。




あれは、私的には「集団欲で生きる人間が勇気を出して本当の自分を生き始める」瞬間を描いたものだと感じた。



24時間TVで主人公の姿を放映されている、

というのはまさに「他人の関心の中に生き」て孤独を埋め、
視聴者は模範的な主人公の行動を監視し安全確認し「孤独を埋めている」、

・・・集団欲、だな~~、です。

ジム・キャリーの模範的ないい夫の姿。・・・・あれが集団欲の理想な他人!

この映画は「普遍的な現代人」を描いたものだと感じた。




安全安心なセットの島に住み、エキストラ役者に囲まれ、
ジム・キャリーは外に出られないトラウマを埋め込まれ

「何かが変」な自分の人生に気づいて、脱出しようとするが
島から出ようとすると必ず妨害が。

これが「自分の人生を正直に生きようとするときのジレンマ」にそっくり。



とうとう監視の目をかいくぐり、ヨットで脱出、嵐にもまれ

最終的に書割(セット)だった空にぶち当たる。
ザ・「集団欲の壁」www

催眠を受ける前とか、中途半端に受けて自分の壁から逃れられない人って
まさに嵐にもまれているような感じなのでしょう。私もそうだった。






この書割の外へ出ていくときに、過去唯一真実を告げようとした女性や
視聴者などが歓喜する。プロデューサーも柔らかく微笑んでいる。

神は祝福した、ということだろう。

「本当は自分の壁を乗り越えてほしかった」というのが神の望みだった、みたいなことだろう。

世界や社会はホントはあなたを支配したかった、ではない
ということなんだと思う。

集団欲が人を支配したい意志のあるものではないように。




「自分の壁を乗り越えた人」は、本当はどこかで歓迎されるものだと思う。

あのセットは、我々個々が「本当は自分が作っている」のだ。




ジム・キャリーみたいな自由の壁を乗り越える瞬間を見て不安を覚える人間は
嘘を生き、劣等感を生き、みたいな人なのだ。

アダムス・ファミリーに近づかない人間もそういう人々。



奇妙で暗くて怖いけど正直なものが本心で、
集団欲に生きる世界は明るく安心安全だが限りなく不自由で嘘にまみれている。

ジムが結婚した相手も事情を知って嘘をついている役者だった。



それぞれが限界を作って、それぞれが嘘を受け入れたり拒否したりして生きている。
それがこの世。


そのセットに気づき、脱出すると、アダムス・ファミリーになれる(笑)みたいな(笑)

あの一家のご夫婦は無理なく仲良く、中身だけ見たらとても清々しい。

逆パターン見過ぎている人にとっては妬みの対象でしょう。



面白い映画を引き寄せていますw


面白い本も読んだ。

その中の一行。


「政治的解決は失敗を繰り返しているだけ、
個人個人が自分に向き合っていく感覚が社会の改善を促す」


秋の収穫祭りです♪


ではでは。