我が家に最近流れてきた映画たち。




①「友だちのうちはどこ?」1987年イラン映画
②「大人は判ってくれない」1959年フランス映画
③「愛と追憶の日々」1983年アメリカ映画
④「遠い空の向こうに」1999年アメリカ映画



見事だ。
・・・子供が犠牲とか奴隷とかになっているモノ、です。




①は町中の大人が子供を奴隷とみなしている話
②は学校の教師と親が強烈な支配&奴隷にする話
③は母子家庭の毒母が無償の愛情を注いでいるように見えて最終的に娘を殺す話
④は少年が’60年頃、ロケットを開発する話が中心だが父親の支配との闘いがすごい



国も時代もいろいろ。
子供の扱いに対しての世界的な傾向が学べた感がある。




「そもそも人が子供を産み始めたのはなぜ?」


という素朴な疑問を考えさせられた。



催眠出産では、世界最古の出産記述本に書いてある内容:

「子供が出来る肉体的システムを人が知らなかった頃は
困難出産はほとんどなく、

ある日おなかの大きな女が子供を産む現象は、
「神の現れ」と呼ばれ、神事のように扱われた」

と教える。





昔はSEXも挨拶のような、唯一の楽しみのような、自然発症的なものだったのだろう。


どんどん人が増えて、いろんなもの、・・家とかを所有し始め、
農耕や狩りの際に、
「人手が多い方が有利」みたいなことを思い立ったのだろうか。

子供を産むという事→財産、みたいな感じで何の考えもなく続き、

ある地方では子供=跡継ぎ問題、みたいな思考になって
子供の有無などがもめ事になったり

子供の数が飢えや食糧問題に関わる、
みたいな話がでたりした。



私が身近に訊いたレベルでは太平洋戦争時の
「産めよ増やせよ」、みたいなので

実際私のおばあちゃんやおじいちゃんレベルの人たちの兄弟は2桁、は普通だった。

子供は自分の老後や私財や地位名誉(世間体!)、みたいな問題を一気に片づける道具でもあった。

また、ディズニーランドも映画館も酒も十分に無い時代の
重要な「快楽」がらみでもあった。




「子供を慈しむ」
「子供を育てる」


という言葉の本質が本当に多くの人に意識されたのは、

最近になってからではないかと思われる。




今現在も「毒親」に苦しむ人々がいっぱいいるように
親レベルではまだ奴隷、人手、のような感覚
あるのではないかと推測する。

上に書いた映画のような世界は、日本の家庭の奥底にまだある。

顕著な例が「虐待死」の事件と報道されているだけ。



映画の時代を見ても、あの映画に出てくる時代の老人はまだ健在しているはず。

「愛と追憶・・」なんて毒親、って単語がまだ無い時代で、

子供が若死するのに、支配しまくった母親役は称賛されてる感あるんだよね。
(母親役、アカデミー主演でオスカー獲ってるしw)

80年代半ばでもそんな感覚。


現代でも親本人たちは「のせられて」子供産んでも
その奴隷役に見て見ぬふり、気付いてなかったりもするが

その親=老人たちの中には
「子供や孫は自分の自慢をするための財産や必須アイテム」
なんていう人も凄く多い。

誘導しまくって、孫を生ませる話もたくさんありますよね。

孤独な幼少期を過ごした子供が
飢えを満たそうと結婚して老人の誘導に乗って子供産んで
虐待や不登校にするとか普通によくある話。


もしくは産むだけ産んでケアが無理なんで、トリュフォーの②の映画のように逆に
ヤングケアラー化みたいにするとかに流す。

でも情報は様々なとこから流れてくるから
自分が奴隷になっていることに気づく子供も多くなった感。

既に結婚願望や男女交際率は減っているとか。




現代の老人や大人は「老後の世話」目的で産んでたりとかも多いが
そもそもすべての子供(の人生の目的)は介護士ではない。様々な施設もある。

&世間の「老後に介護を必ず必要とする想定で生きるという事の暗示」もばれてきた。

後ろ向きな人生の安全なお尻ぬぐいの人手を確保したいだけの人種がいたという事。



人間は一人一人、それぞれ目的をもって生まれてくるから
という話も広まっているし、

よくある「慣例」ような人生を歩むというのも、
田舎か貧しい人間しかしなくなった感覚もある。

④の映画の途中みたいな、道や人生を強いる大人もまだいるにはいるが、今や古い。





今の時代、本当に多くの人が子供を産むという事が大切なことなのか?


と思う。


年金とか介護問題とかナントカではなく、

才能論 個々の魂磨き=人生

という話のレベルで。


これまた「集団欲」に弄ばれているだけのような気がして。




なんとなく避けてきたような話題だけど


これだけ人手を買える時代であり、
子供を産むという事、育てるという事の意義や本質を考えさせられるような
こどもがらみの事件がいっぱい満ちている。


そもそもこの世の犯罪や変なことのほとんどが
充実した幼少期が無いために起こっているという現実
で、

子供を作るしかないみたいな状態も避けられる今の世の中に、

多くの人が子供を産む、増やす、を無理にやる必要はあるのだろうか?

などと思ってしまった。



子供を産んで失敗したとやけくそになって、
子供を世界の片隅に閉じ込めて陰湿ないじめや暴力に走る前に
考えるべきことがある
んじゃね?と思う。

子供を「荷物を背負わす目的」で産む話なんて、あまりにも酷すぎません?



歴史的に作られた概念としては労働力欲しさ、とか
快楽の末、なんだから

地位とか名誉みたいなのを捨てたら

「目的は達成した」のであって!

大人が変な欲を捨てるだけ。

子供を出産し育てる、という事は

本当に叶えたい人だけがやればいい
「選択肢の一つ」ではないのだろうか?



毒親という言葉の出現、虐待のニュースは「母性は神話」だと言っている気がする。

私は脳の記憶層の底に誰もが母性を持っているとは思わない。

「自分が満たされたい」というのが現実的なところだと思います。


勿論様々な失敗前提で生まれてくる子供もいるから
意図なく子供を流れで産んだ、を全否定もしませんが。






私は動物も赤ちゃんも植物のつぼみも、とても魅力があって、大好きだけど

それが大切で素晴らしいものであればあるほど重要な扱いをしなくては
という事も知っている。

出産も快楽だと知っている。けど

全て自分がするかどうか、
なんでも個々で考える時代だと思います。



慣例、とか流行っているとか押えとこう、でやると
失敗したときに厳しい。
古いものは速く積極的に捨てる時代!

そんな魚座の時間に有ったような常識で動く甘い時代ではない。

水瓶座の時代は「個」、魚座の時間とは真逆といってよい。


&世間は個人の困難に異常に冷たいものです。上っ面は慰めてくれますが。

逆を返せば、集団欲にかまけてしまう個人は、他人が慰められる程度ではない、深い依存症だという事なのです。




子供を奴隷扱いする時代は終わりました。

感情のごみ箱にしてごまかすのも違う。

親や男のご機嫌取りに産むのも違う。

不安や孤独を埋めるための道具に使うも違う!

個々が選択して子供を産む時代だと思います。




あなたの幸せは、何?

・・・ではでは。