(8月の満月は綺麗だった・・・)









先日野口整体のお話で、

・・・野口整体には有名な「体癖」という概念があるのだけど

その意識レベルの話を面白く聞いた。




創始者・野口晴哉さんの弟子を見極める話。


まず弟子希望者には犬の散歩をさせたり
お茶を出させたり
身の回りのことをやらせて、
意識レベルを観たのだそうです。


創始者の野口晴哉さんには、
犬の散歩をどのぐらいやってきたかとか
相手がどれぐらい自分のコンディションを思いやって
お茶に配慮をするかとか
全部わかる。

体癖とは
そういう意識が高い人が
築いている説だ。

いろんなことが一挙手一投足でわかる人だと師匠を認識できない、
ということがまず「駄目」で

このレベルがある程度に達しないと
整体の技術を教えても無駄だという判断だったそうですが

スゴ~~く納得!




先日中村富十郎さんのお話で書きましたが
「芸を教えるより心(芸に向かう心)を作る方が先!」
っていう話と同じことを言っているではありませんか。

感性や才能、意識レベルの話。

自然に生まれ出る心が無ければ
どんな名手の指導の元であっても
芸の取得の限界は早いと思う。

判断枠≒意識、だと思う。








私も先日、こういうことがあった。

知人が、私が「自分の大切な人の非難をした」と怒ってきたことがあった。


その知人と大切な人が同席した場面でしたのだと言ったが

私はその内容をメールで送られてすぐに
事の真相ではなく

「?私が直接ご本人目の前にして非難をする人間ではないということすら
この人は分からないで付き合ってたのか?」

と思ったのです。




お世話になった人だったのですが
その時点で「あ、こりゃ駄目だわ」でした。

話し合うことすらイメージに沸きませんでした。

こういう人は小さな行き違いであっても
何度何かを話し合いで乗り越えても無駄なんです。


そんなことする人かどうかぐらいわからないとなあ、でした。


つまり
意識レベルでの他人の判断に乏しい人だったというは明らか。

まあ、基本誰かを疑う、ってエネルギーが大きい人だったから
何か勘違いしたんだとは思いました。





私の中での変わらぬ真理は

その人の中の脳のプログラミング=意識、感性の存在は

話し合いで消える・変わるようなものではない

ということ。





その人のトラウマ話を思い出しながら

意識レベルの感覚を狂わすのは
常に世間の概念とかトラウマという洗脳なのだなあ
とは思ったが

(例えば地位とか名誉でいい人かどうか判断しがち、みたいな話)

他人のそれをいちいち許すとかしなくていいと思っている。


人関係においては
意識レベルの差がはっきりと判明したところで終わりを迎えるのだと思う。


和解したからって、相手のトラウマや概念は消えないし

私は「終わっていた関係」を認知しただけだった。






怒れるようなことが起きた場合
被害とかがあれば淡々と被害を補填していただき

ただの知人関係なのだったら離れるだけなのに、
(ツイッターで言うミュートするだけ)

といつも淡々と思うが、

社会的ストレスが多大な上に孤独で
皆さん「本心」の表層が社会的催眠で出てしまっていたから

ストレス理解できる人や支配したい人を見極めて
自分の感情を出してくるんだけど

ただのいい迷惑。です。
相手にするだけ無駄です。




自分で自分が支配出来ないレベルの話を知らない人が
他人の支配に走るのだ。



その度

意識レベルが同じ人じゃないと
付き合ってても何も学べないし無駄なのだ、

と思います。




そのレベルの話が
野口晴哉さんの話に現れていて
すっきりしました。



先日も書いたが(平和の話のときに・・・)

交流したい誰かがいたら
その欲望で本気になって意識を磨かないと「無理」だという事です。






意識レベルが研ぎ澄まされた人というのは

神経質、ではなく
逆に雑念が無いぐらいのトラウマが少ないことが
条件
だなといつも思います。

=色んなことに使う神経に余裕があるってことです。




どんなに頑張って意識的に磨こうとしても
人の感覚は磨けないし

無理して頑張って洗練気取る話してくる人って
全員精神薬の話をします!が


洗練というのは

個人的な快楽目的で磨かれ
恐怖記憶からの行動で磨けないもの
だと
よく思います。


こういう話が最近多くて癒される。


本物の癒しとは誤魔化してくれるものではなく
はっきりさせてくれる話ですね。


ではでは・・・・