(カオマンガイは土鍋炊き)






「コラテラル」に引き続き
映画深読み。

先日、リュック・ベッソンの名作「ニキータ」を観まして。



有名な「レオン」より
何気に単館系の映画の雰囲気が好みでした。


「ニキータ」は「子供の支配」みたいなことを
端的に描いている話ですね、という捉え方です。





・・・・説明していこう!(笑)







若きジャンキー・ニキータはクスリを盗むために、盗みに入って
警官に見つかった。
クスリが切れてヘロヘロになっていたところで
警官を銃殺してしまう。

逮捕、のち裁判では死刑宣告。

が、才能を感じた男が死刑から救う。

支配し、
暗殺者に仕立てて、
仕事をさせるという目的だった。




これっていわゆる「贖罪」とかそういう話なのかなと思いました。


キリスト教に詳しくないので何なんですが

教会って「どこまでも神格化される母性」=穏やかなマリア像、と
「十字架に張り付けられる子供、男」をありがたがるキリスト像が

女性のエゴと子供(と男)の犠牲を正当化する洗脳をしているのかと
思ったことがあって。




=「お前は罪を犯し続けている!」みたいな刷り込みをして
支配する、

みたいなことが欧米諸国の(キリスト教の基本的)洗脳なのかな、
とか思ったことがある。



それが冒頭の、ニキータが警官を殺すシーン、裁判のシーン、なのかなー。って。

薬でヘロヘロにされている子供、っていうのも、
なんとなく現代を象徴する感じがしましたね。

いい子にどこまでも教育して子供を追い詰めて
子供は耐えきれず絶対何か罪を犯す。
そこをまた「罪を償え」と支配してくる。

or、そういう子供を「悪い見本」として
絶対罪を犯させない、いいガッコいい就職、高い地位・・・

みたいなことってよくある話ですけど
ニキータはつまり、前者として描かれているのかなという感じです。



死刑から逃れた後、とある施設に隔離され
ニキータはとある指導役の男に見守られながら
スナイパーとしての技術をどんどん身に着けていく。

そして、外の世界に出される日が来た。
一般人として、偽名や新しい戸籍を与えられ
「任務」を果たす日が来た。

その最初の任務が、誕生日!で

ドレスアップしてすっかり美しくなったニキータは
指導役の男としゃれたレストランに着き
さあ祝おうという中
渡された箱の中には立派なピストルが!

そのレストランに来るとある人間を殺して逃げかえってくる
という何とも皮肉な任務をそこで告げられる。


これは、贖罪の為に囲まれて偏った教育をされた子供が
さあ幸せをつかむぞ!とたどり着いた場所が
「人を殺す現場」!
だという

・・・まるで、高学歴、一流企業就職、
さあ世の中のために幸せになるぞ!

って

配属された先の仕事が、積極的に人を殺すような、
製薬会社か食品会社みたいな現場でした!

って感じを描いたのかな?と思っちゃいましたね(笑)




それで、ニキータはその後、恋人ができます。

指導役の男は、鼓舞し、厳しく、育ててくれるという面が強い人だったんだけど
恋人は真逆の、優しくて、受け入れてくれるタイプの人。
「純粋で本質的な母性」、を象徴しているような。


ニキータは任務を隠しながら、彼とどんどん仲良くなっていく。
癒しの時間到来、・・というのもまた嘘で
彼との旅行先でも、ニキータには任務の電話が入る。

彼のドア越しの愛の告白のさなかも、
ニキータはバスルームで銃を組み立てて
無線で情報を得ながら敵を狙う始末。



この、「いいところでいつも邪魔が入る」っていうの
毒親の支配にそっくり!
って思って見てました。


子供自身の幸せなど、実は親のエゴは望んでいない。
幸せがあったら自分によこせ、っていうのが毒親。

子供が幸せそうだと不機嫌になる毒親の話は定番です。

常に子供を支配し「所有物」と化している、
これは・・・・親のエゴを描いたものなんだな、と
私は強く思った。


「お前は罪を犯しているのだから
せめて親の言うことを聞いて、犠牲になりなさい!」

って感じでしょうか。
本音のところは。絶対言いませんけどね。
&積極的に他人を殺させる(笑)・・・・

貧しい親の元で育った人は分かると思うけど
親のエゴって
「結婚は世間の手前してほしいけど
他人と仲良くしなさいとかは思っていない。
親が第一です、それを忘れないで!」
って感じです。

親が子供を食い物にする、っていうのは
アフリカで少年兵にするため子供を売る親だけの話ではないの。
何処の国でも起こっているの!

そういう家では、
結婚相手は敵だとかいう感じを植え付ける親の話もよくあります。

エスカレートすると、離婚を促し、匂わせて、
子供が実際離婚に至ったら内心喜んでいる親とかいますからね。。。。

で子供は相変わらずダメな人間呼ばわり、支配、。。
っていうのが繰り返されているとかあるんですよね・・・。






映画の話に戻ります。


結局ニキータは恋人にウソがばれますが

恋人は「親の純粋で本質的な部分」を表している人なので
ニキータを支配しているチカラから逃がしてやる。

ニキータが去った後
「お互い寂しくなりますね」と
指導者役の男と恋人が、
ニキータの自立を知ってしみじみとする場面で
この映画は終わります。

本質的な母性と、エゴの会話。




宗教的な観念や親のエゴにがんじがらめになった子供が
自立していくのを描いた映画なのだと感じました。




いや、深読みすると、端的に深く鋭いことを描いている、
と思いますね。


子供を殺人者に仕立てる、っていうのは
今やどこの家庭でも珍しくないことだと感じます。

このニセ騒ぎに気づいている人でも
「子供は医者に」とか言っているとかある。

ヤバいよね。

聞こえの良い職業って、ほんと中身ボロボロな人が多いし
悲しいことに、もう一歩で捕まるだろう的な犯罪予備軍に近い人だっている。
見方によってはだけど。

尤も、「犯罪」だと認定されないで
仕事だ商売だと合法的に人から奪うことなど、日常茶飯事な世界だと思う。


色々考えさせられる映画でした。


この映画、
ジャンヌ・モローがニキータを女に目覚めさせていく場面も
有名ですが

ジャンヌが「女は美しさとそれを利用することは無限にしなさい」
みたいなことをニキータに教えるシーンにはうなってしまいました。
素敵!


男も女も子供も強く生きなきゃ損。


「強く生きる」ということは、
「弱く幼いものを犠牲にする能力」ではないということだ、
といつも思ってならないのですが。



「ニキータ」、名作でした。

古き良きフランス映画。
ヨーロッパの影の臭いっていうのかな・・・好きな人にはたまらない感じです。
ぜひ。


・・・ではでは。