私はいまでこそ、変わった専門職をしているけど、
社会人、としてのキャリアは、ほぼサービス業で、
そのメインは、飲食店での、カマレラ、・・・ウエイトレス、である。



最初に入ったリゾートホテルの上司は、元大手の料飲部キャプテンだった人で、
なかなか厳しい人でした。

「すべてのお客さんを平等に扱いなさい」ということは、某ファストフード店でも言われた。


私は、この言葉や、精神がすごく好きだ。

この言葉や、精神の基礎を今もとても大事にしています。




しかし、こういうことは、世の中の一般的な「常識」ではないのだ!

ということを、


時々感じて、悲しくなることも多いです。




例えば、スピ学習的な場に行っても、メインのひとが基本そういう事ができてない人だったりすることは多く、ホテルマンのマナーが基本的なものさしの私は、とても残念に思うことがあります。


ホテルマンが「平等にお客さんを扱う」という基本精神を守るのには、お金を支払ってもらうことに対することだけでなく、時間や意識を使ってもらうことに関する純粋な感謝があります。



これこそが「マナー」の基本、
マナーとは基本的な敬意なのだということだと思いますが、

スピリチュアル系の会に出かけて、すごく立派な平和な理想を述べたかと思うと、
感謝を基本とした敬意に欠けるなあ、という人も多く、

個人的なトラウマを埋めるための活動なのか!、などとその度に感じたりして、

・・・彼らの立派な発言がブラックホールに消え去ってしまうことも多いです。




・・・資金集めなんだな、その目的が何であれ、個人の欲望に変わりはない、とか

たくさん寄付してくれる人とか、全面的に支持している人の前で態度の変わる人を観ると、飲食店で純粋な気持ちでサービスしてくれた人々のことを思い出します。

・・・きっと、大切な心を守るために。





私は、聖人は街にいる、と思っています。


どんな世界でも、有名な人、素晴らしいと言われている人でも、本物は10人に一人いるかいないか。
結局、すぐわかりやすく人をふるいにかけていたりするなあ、なんて感じてしまうことも多い。


人の価値、ってなんだろう、心のレベルってなんだろう、って時々思うことがある。


そんな時、初めて入ったお店で親切にしてくれた街のウエイトレスやウエイターのことをよく思い出す。

そういうことにもあまり出会えなかったりする世の中だけど、

きちんと、1000回に1回のことでも、幸せでいいことの記憶というのは、きちんと脳は手放さないで覚えているものです。




ウエイター、ウエイトレス、私のような変わった職業や、社会的に地位が低い、などと言われる職業についている人は世の中に多いのですが、

そういう職業だから低く見るような人こそが、実は、本当に魂や心のレベルの低い人なのだろうと私は思います。





ホテルの料飲部で働いていた時、大手企業の接待客が、「君のような人が、なぜこんな職業に」と言ってきたことが有った。、いい人風な上品な格好をしていたので驚いた。

明治時代の価値観=ウエイトレス=ホステス=性的サービス、みたいなところで止まっているんだなーーー、と感じた。大学校では『本質を見抜く』ということを教えてはいないから仕方ない、と感じたものです。




どんな場や職業にも、等級、ランク、みたいなものが有って、
私はいつも多くの人に、「最下位ランク」と仕分けされることも多いのですが、全然構わないです。


私は目の前のクライアントさんや、少しずつふえてきた友人たちが、まっすぐに私を信用してお話くださるその時間があれば、どんな仕分けをされても構いません。




世の中や親の「仕分けランク」「価値」に怯える人というのは多いのですが、

自分で自分に
恥じない行動をする


ということのほうが大事なのです。魂の王道なのです。地位や名誉などは天界では評価の対象ではありません。



私はウエイトレスやサービス業をしていて恥じたことは無い。


ひとはみんな神様で、みんな立派な人、なのです。


基本的に敬意を持って他人と接することが出来ない人は私的にアウト、だという心を大事にしてこれからも生きていこうと思っています。