(亡きロビン・ウィリアムスが演じるはずだった主役を、催眠(療法?術?宗教?)映画「ザ・マスター」で催眠にヨレヨレになる病んだ男を演じた、亡きリヴァー・フェニックスの弟にして「深堀」№1星座・蠍座のホアキン・フェニックスが憑依演技(笑)。ロビン(獅子座)がやったらもっと大衆向けの明るいテイスト強、だったかも。ホアキンが演ったおかげで、より「単館系」な仕上がり♪蠍座な仕上がり♪いいね!)




私は気に入った映画は、2度観ますが、年1ぐらいしかそういうことは起こりません。

その殆どは、単館系映画館で起こりますが、今回はシネコンに、しかも「お勉強」に、再受講、で行ってきました。

「ドント・ウォーリー」は、アルコール依存症の末、ほぼ全身が麻痺して車椅子になってしまった男のお話です。



今年の春は、アルコール依存症のお話は奇しくも2本め。

依存症に立ち向かっているから引き寄せたのでしょう。
いずれも監督や主役が目的で見に行ってるんですけどね・・。

そして、映画=天使のサイン、としたなら、メッセージはいつも

「怒りを表現せよ!」

だった。




「桜の森の満開の下」というシネマ歌舞伎もそうだったし、デザイナーのアレキサンダー・マックイーンのドキュメントもそうだった。


「桜の森・・・」は坂口安吾の小説から作られたものでしたが、いや、これも勉強になりました。

地方の偉い王の娘の守護のために捧げる「彫刻」を求められた3人の作品、が出てくるんだけど、

「金ピカの、たくさんの剣」がついたもの、
「鬼」
「金ピカのきれいな観音・仏像」

という作品の中で、選ばれたものは「鬼」=怒りを表現したもの、

だったのですが


金ピカの剣=資格とか技術、
きれいな観音・仏像=偉い人の尊い教えを鵜呑みにすること、

よりも

個人の怒りを表現したもの である 「鬼」
が選ばれたというのは、

ああ解る~~~~  
でした。(私的な解釈、です、あくまで上の解釈は)


牡牛座の、何個もあるだろう胃袋の中で、何日も消化作業をしました。



これって、私が世の中を見てて思うこととおんなじで。



セラピストになってからたくさん、同年代や30代のひとと出会ってきたんですけど、

公的な資格を自慢したり、生まれつきの特別な能力を自慢したり、資格マニアな人、

「偉い人の情報にいい子してます」っていう人や、仏のようないい子、

深く病んでる傾向が高い。

実は、刀も観音や仏も

=「身を守れない」、っていうこと!




そんなことを無視して、「自身の怒りに素直に忠実に耳を傾け、追求し、対策を講じた」
という人が、なにかを見つけることが出来ている、

最終的に「怒りを表現した」

そういうことが、自由を運んで来ているのではないだろうか?


という感じです。




「ドント・ウォーリー」は、アルコール依存症から立ち直るための、少人数グループセラピーの場面がたくさん出てきます。

そこでも、まるで太ったキリストみたいなセラピスト(ジョナ・ヒル)が言うんですよね、

「自己啓発は、怒りを出してから、
己(の怒り)を知ることが先」


って。


怒りをデトックス出来ないで、偉い先生のきれいな言葉ばかり信じてやっても、不幸の連鎖は止まりません



例えば「他人の悪口は言うな」とか言うでしょ?

悪口、じゃなくて、他人の行動に疑問があったら、口に出して誰かに問うてみるとかしたほうがいいよ、と私は思っています。


誰かの悪口とか非難をしない人なんていないと思います。実は。心でやっています。

でも、偉いセンセが「悪口言うな」って言って、我慢しているひとはいっぱいいる。

こんな「我慢」をしても、意味ないです。

偉い人々は、「悪口言わないで、他人を甘く見たり、受け入れたりする仏心が【自然と身についた】ひと」なんですよ。

凡人がこの域に達するためには、悪口をいって、いろいろと体験して、自然と【赦し】が出てくるまで誰かに「怒りを表現して」問うてみるが先だと思います。

知識なんてそんなものですよ。

体験から湧き出てくる心しか、結局身につきません。

我慢して「観音や仏のように」いい人している人って、まあ、大体40、50になると、病になります。

現代アートみたいに、怒りをストレートに愚痴ってばっかりの作品を表現していると、もちろん世の中から淘汰されますけど、

マックイーンみたいに、人の内的なある部分を解放し、一部の人にはどこまでも届くような作品にしたら、それは役に立つ。





「ドント・ウォーリー」でも、セラピーの最初に「怒り」を出させます。


「自分が何に怒りを抱いているか」を自覚するのは、とても大切なこと。

その感情こそが、「生きるのに邪魔で不要な感情」、ですが、

怒りに気づかせないように、世の中には様々なエネルギー、悪霊がいっぱいある。トラップがいっぱいあるんです。

しかも、怒りを受け止めてくれる、出していい、っていう場所は、世の中かなり少ない。

だから、「偉い人の言葉」とかで、抑え込もうとするのですけど、出来ませんね。

怒りや、我慢する心を出して、気づかせないようにしているトラップに気づいて先に進むことこそが、「自分を守る」のです。

そして、我が療法室では、「怒り」を出していいです。




この

「怒りを出せないトラップ」

の最大のもの、

「ドント・ウォーリー」には出てきました。


「幼少期孤独」です。

主人公のアルコール依存症には、ご自身が「捨てられた」赤ん坊だった経験と記憶が関与していました。

「我々には
【口実】がある」


なんて、おっしゃっていましたね。



幼少期孤独は気づけ無い人が多いことと、
気づいていても手放さない人がいますが、

「ドント・ウォーリー」のセラピスト役の最後の言葉は圧巻でした。


「・・・・このセラピーの最後は、【一番大事な人を失う】のだ」、
ってあるんですけど


結局、アルコール依存症でも、摂食障害でも、同じで、

摂食障害を何故手放せないか、というのは

一番大切な

家族を失う

恐怖があるのだと、いうことなのですね。

それがどんな嫌な記憶でも、記憶を開放して、問題を手放す、というのは、相手との時間が限りなく少なくなっていきます。

私が、親の虐待記憶をほとんど思い出さない(職業柄「例」をお話するのに覚えていなきゃいかんので、その時ぐらい)のとおんなじで。


問題を抱えているのを
孤独を癒やすために
実は好んでやってた
、みたいなことに気づくと、

要らないことは去っていくのでしょう。




「孤独恐怖」ゆえ、

それがどんな有害で、悪霊に憑依された人であっても、
家族というつながりだけでも保持しておきたい、

という人の弱い心が、保持させている


このエネルギーがあると、幼少期孤独に気づけ無いし、気づきにくいし、手放せない、


・・・っていうことが、「ドント・ウォーリー」では、ラストにささやかれるのです。


不快なこと< 孤独を埋めたい

という心が、ネックなんです。

ネガな目的で繋がっている心が、病んでいるということ。




過食改善WSで時間が足りずやりきれないかもと思うので、この記事を書きましたが、
(映画レビュー目的じゃないの(笑))


この世には「競争社会」とかいう言葉があって、
人は孤独にされます、必要以上に。


立派な刀をたくさん持たなきゃ、とか変な情報が渦巻いているし、

有意義な、とかリア充を、なんて言う言葉もいっぱいありますが、

我々は宇宙家族の一員、人類みな兄弟、を忘れずに。

そして本当の親は、神様ご夫妻、です。
プロディーサーはその人たちで、今生の親は、ディレクターですね。

そして、「人生を天気に例えたら、週に2日ぐらいしか晴れはない」レベル、みたいな感じだと思います(これも確か、「ドント・ウォーリー」では語られている。)。

頑張って、さらに必要以上に明るく生きなくていいんです♪


毎日ステーキとキャビアと美女とオーガニックみたいな明るい光しか表現されていない情報媒体にだまされないこと。



ガス・ヴァン・サントの「ドント・ウォーリー」、地味なんですけど、いい映画でした。

さすがゲイの人はスバラシイ。

私は偉い先生になったら(笑)もしくはゴージャスなマダムになったら(笑)アシスタントはゲイにすると決めている。有能で選ばれた人たち。

ああ、映画の、ゲイのセラピスト役のジョナ・ヒルは、超お金持ちで、無料でセラピーを開催していました。お金持ちになったら、ああいう自助グループセラピー、やりたい!

・・・けれど、日本は「タダ」でやると効き目がないエネルギーは強い。
タダでやると、自己免疫が少なくしか出ないです~~



単発より「通し」はぐぐっと安くしています。
過食改善WS(4月23日記事が詳細)へどうぞ。

ではでは。