(ランチより高かったチョコパフェ。パフェ、前回食べたのはいつだったか覚えがありませんが・・・
「ここで食べなきゃ後悔する」と感じまして(笑)、某ギンザで食べてきました。
チョコが苦くて、私好みでしたが、もうしばらく食べなくていい感じ(笑)。
多分、パフェとしての完成度は高い気がしますが、甘いものを食べてると「結局砂糖とかバターとかだな」っていう結論にいたり、奥深さが探求できなくて飽きてしまう。
微量のスパイスとか洋酒が、とか、その魅力には、あんまり興味がない。
でも体に悪いとか言って我慢しないで、食べるようにしています。
食べてみたい!という気持ちを我慢して生きると、未来に死ぬほど美味しくもないのにパフェにこだわるという過食が発症する気がします。
「我慢しない」というのも「新しいことに飛び込む」という気持ちも大事だと思います。
ちなみに「チョコレート過食」は多いみたいですが、「甘やかされた記憶がない」という心がチョコレート過食を呼ぶとも。
何れにせよチョコは「過覚醒」、を呼ぶ成分ばかり。本当は頭なんかボーッとさせて生きることのほうがそういう人には必要なんだけどね・・・・)
久しぶりに、東京へ行きました。
「東京に行くと便秘する(神経刺激が多い)」女だった私も、
すっかり穏やかな人生と仲良く出来てきたらしく、
体調も万全。
長く住むような感じはしないけど、やはり魅力的だな東京は、なんて言って
帰ってきました。
その理由は、うっかり正月に、中村七之助さんの踊りを観てしまったから。
「ジャパニーズ・ブレイク・ダンス」、みたいな、
浄瑠璃の人形みたいな踊りが、どうしても生で観てみたい、
いま東京に行けばライヴが体験できる、このチャンス、贅沢?我慢?
天使は「行ってらっしゃい!行け~~~」(笑)と(笑)。
中村七之助さんのファンなのかな天使は?(笑)
今を生きるって大事だなあと思います。
こういう感動に出会うと、その感動は長く続いたりする。そういうことを考えると、意外と芸術にかけるお金というのは、元が取れているのかもしれない。
今回の七之助さんの役は、借金のかたに変な人の嫁にされそうな美人の娘。
片思い中の男性は、婚約者があるらしいが、失った刀を取り戻しに来た先で七之助に出会う、という役で、
七之助の娘の、「恋を叶える」ための一騒動が描かれていたのですが、
夜に逃げ出そうとするシーンで、雪の夜、世話してくれるおばあちゃんとお家から出るんですけど、街の木戸が全部しまってて、閉じ込められている。
逃げ出せない。
決まりを破って、緊急時にしか鳴らしてはいけない櫓の太鼓を鳴らせば木戸は開くが、捕まる可能性が。
その勇気が試される・・・
という場面で、エゴ?それとも恋の奴隷?になった七之助が、
「人形振り」と呼ばれる踊りをするのですが、
・・・糸で吊られた人形になったみたいな踊りで、
瞬きせず、指も動かさず、カクカクした踊りで、・・・
まるで神に操られたような!
そして最後に「人」に戻って、髪を振り乱しながら櫓に登って、
ついに太鼓をたたき、
刀を渡され、恋人と木戸を抜けて走り去っていく・・・・
という物語は、「う~~ん 天使のサイン!」でした!
七之助さんを観ると感動します。
まだお父様が生きてらした頃ですけど・・・・
彼をTVで拝見する度、
私は「(TVで見ていて)とても心配になる人」、の一人でした。
お兄ちゃんがいて、お家を継ぐだろうなあっていう名前をもらっていて、
自分はそうではなく、
・・・やはり大柄な、男の人をやれる感じの人というのは、名門のお家のご子息でも、貴重に扱われると言うか、
いつもお兄ちゃんの影に隠れて、ひっそりと、自信なさげな暗い顔をして、
・・・心配だなあ
そんなことを思っていたら、事故をしたというニュースが。
ああやはりか、と思ったものです。
そこから数年後、彼は若手の女形として成長していて、
「ああ、ご自分の道を見つけられたのだなあ」と思ったものです。
名門のうちで育った人たち、というのを、私達はTVなどで拝見することがよくあるものですが、いろいろと勉強になります。
ちなみに私の知っている限り、「中村家・弟派」率は高い。
やはり、苦難苦悩、というのは、ときに人を成長させるものですね、と言わざるを得ません。
もっともっと、「ポスト玉三郎」最右翼!とおばあちゃんたちでも騒ぐぐらいの役者さんになってほしいものです!
まるで人形振りのような踊りを、人はさせられているようなときというのが、人生にはあるのではないでしょうか。
それが、「恋に盲目」のようなときもあれば、「我慢」というものを押し付けられて、他人の求めるがままになっている、っていうときもあるでしょう。
もしくは運命の神にただ導かれて動いていて、何となく自分がない感じがする・・・というときも。
流されているな、と感じる時、
自分を顧みるのは大切だと思います。
あなたの「人形振り」、神様が操っているならいいけど、
神のフリした、野獣や悪霊がいやらしい顔で操っているかも。
とても「良い人」のふりをした、とても巧妙な、他人経由の悪霊、かもしれません。
そういう場合、天使は必ず「サイン」を伝えてきています。
よく身の回りに起こったことを、確認してください。
運命に流される、というのは、必然的に起こることもあるから、全てが悪いとは思わない。
ただ
「この人形振り、違うな」と思ったら、「操り糸」を切って、自由に踊ることです。
人形振りから開放された七之助が、櫓に駆け上がって、禁じられた太鼓を叩いたように、
上を向いて、勇気を持って進んでいくことです。
そうでなければ、刀は渡されないし、木戸も開かないかも。
もしくは開いた木戸の向こうは、悲惨な世界だと思います。
手にした刀は、自分や他人の血を流すためのものかもしれません。
しかし、不安でも、心に清らかなものがあるのならば、勇気と、刀を持って、進むということです。
心を決めるということ。自分を信じるということ。
されば、門は開かれる、だと思います。
まさに
「自分と結婚する」
という感じですね。
「不安は祈りのようなものだ、不幸を叶えてしまう」
という言葉がありますが、
不安や恐怖は、本当に不必要なものですね。役に立たない!
でも、時々陥ってしまうこともありますけど、
そんなときは、あんまり普段しないようなこと・・・
チョコパフェでも食べて、
一息ついて、気分を変えてみましょう。
そして、「一瞬は永遠」というような素晴らしい瞬間の記憶を思い出して、
夢を見ることです。
七之助さんの人形振りを、私は度々これからも思い出すことでしょう。
いい1月だった。
楽しい2月を皆様も。いよいよ2019年が本格的に動き出します。ではでは!