前回、「自我の叫びを無視して、スピ勉強の最高峰とか学んでも、世界は変わらないし、神様の声は遠のきますよ」というようなお話を書きました。


なぜ、こんな事を書いたかというと、今年は、宗教がらみの相談が相次いだことと、
宗教団体には加入していないものの、物凄く「キレイ」なスピリチュアル系の本なんかに書いてあるような「キレイな習慣」をしている「けど」、・・・っていう人にたくさん会いました。


そういう人たちに、考えてほしい。
自分の周りを見てみて下さい。

今、殺人事件の多くは家族の中で起こっているし、セクハラもパワハラも、幼少期の未完結記憶を満たしたくて起こっているのです。

セクハラ(加害者)は性的にバカにされたとかそういうことが起こすし、パワハラ(加害者)は無理に勉強させられたとかそういう記憶が元です。被害者はいずれもそれらに「耐えた」幼少期があることが原因です。

尊い教えとか、秘技とか、先祖供養とか霊を祓うとかそんなことをがんばる前に、日常を覆っている大きなものに気づいてほしいのです。

子供が当然のようになんらかの窮地に陥るのは当たり前で、その記憶の種が不幸をどんどん成長させているだけなのです。



量子波ヒーリングなんて習って無くても、敏感な人にはわかると思う。
その「キレイ」な習慣や、行為の出すエネルギー。


スピ系の本、「引き寄せの法則」の本、読んで真似てるだけだなあ、っていうオーラは、その「キレイ」な行動の端々に満ちています。

真似てるなあ、っていうそれだけならいいんだけど、
ゾッとするような毒素がでます。

聞いているだけで、消化不良になる感じです。

それでやっぱり、ご本人たちは、全然ブリリアントでも爽やかでもなくて、そういうふりをしていますけど、もう、何も観ないようにして生きてる、依存症患者みたいな感じです。

変な宗教の呪文とか聞いたりして、毎朝エネルギー浄化しているとか、そういう習慣の前に、脳の奥の毒素発生源をどうにかしないと、っていう人は、本当に多いです。やっているご本人たちは子供みたいです。


魂の浄化や人生改善の基礎の基礎、は家庭にある。幼少期の家庭、に。




彼らが自覚している否にかかわらず、幼少期の親や教師などの大人の対応に不満や怒りを抱いているのは確かなのですが(病状や事件や様々なものが語る)、

そういうのを、本屋さんの精神世界のコーナーの本や、宗教の本、そういうので言っているキレイな習慣なんかで矯正すると、すごくややこしいことになりますし、凄い毒素が出ているんです。



例えば、「ありがとう」って言って、感謝していきなさい、とか言うじゃないですか。
そうすると、人生改善しますよなんてイージーに書いてあるけど、

有名な「引き寄せの法則」の本には、「胸がザワザワ、とするようなポジティブな文言をいい続けても改善しない」って書いてあります。でも、イージーな本の一文だけ読んで、やる。

凄い毒素が、私をざわざわさせる。


そういうことを本読んでやっている人っていうのは、ほぼ「自分が幸せになるため」にやっているわけです。

だから「妙にありがとう、って言うよね」ぐらいから始まって、終いには「あ~~自分のためにやってるな、だから気になっていたんだなあ」なんて感じになってきます。私は。


本当に嬉しかったり、ありがたいなあ、って思わないのに言うから、妙に引っかかる。空気に毒素が、燃えカスみたいなのが残るから、引っかかる。

純粋な感動の「ありがとう」に、そういうエネルギーは残りません。

私が牡牛座で、嘘発見能力が高い、っていうだけじゃないと思います。



「親にありがとうも言えない人生は良くなるわけがない」みたいなことを書いてある本はいっぱいある。
でも虐待されたとか、酷い目に遭った、傷ついた、みたいな人が、「ありがとう」なんて親に言えないっていうのは、普通で自然な事なのです。

そんな自分を無視して「ありがとう」って言い続けても、体は「嘘言ってる」って反応するから、言ってもいいけど覚悟したほうがいいんじゃないかなあ、と思う。
嘘を言い続ける代償を。


無理やり親孝行して、人生を改善しようとする人もいっぱいいるけど、そういうひとの中には、虐待してきた親に生命保険を掛けて、次の月に胃がんが発見されたとか、そういう人もいるのです。


虐待に怒ってずっと過ごすのも良くないのはわかるけど、

要は「虐待とか、幼少期孤独とか、ネガな記憶とかから自由になること」、なんだと思うのです。


自分の中の叫びを無視して、
怒りに走る自分も赦さず、

スピ系の本の偉い人の言葉とかを実行したり、おすすめ行動とか、様々なキレイ習慣、・・・決まった日に神社に必ずお参りに行くとか、波動が高いとか言われる言葉を言い続けるとか、率先して人の役に立つとか、・・・をしたり、

それで、何か良いエネルギーがその人から出ていたりするか、
人生改善や幸せになっているかって言うと、

幼少期を紛らわしている、
幼少期を紛らわされている、

という事になっているケースって、本当に多いのです。

そんなことしていても、なんの意味もないと、いつも思っています。





個人が個人の楽しい生活の純度を高めていく、というのが、人生の基盤・基礎、です。


そのために、つまらない、非力な自分を認めて受け止めてもらった記憶、っていうのはすごく大事。でも子供の多くはそれを得られないで成長してしまうのかもしれない。

でもそれを、「この親じゃ出来ない」「出来ないとわかっていながら延々とトライ」「親が死んだからクリア」「おとなになって、親の大変さを知った」とか、そういう間違った知識や理解するふうな心が邪魔をします。


そんなの必要ない。


ばかやろう、は、ばかやろう、でいい、

ばかやろうって思った自分があります、っていうところから、癒やしや浄化は始まる。

そう思うのですね。


自我を正直に認知することから癒やしは始まる。



本当に私達世代から下の多くは、「癒やし世代」、だと思います。
子供時代に子供していなくて、ずっと大人をやらされているみたいな。
神様は「世界平和の基本は最小限単位の団体(家族)の充実から始まる」と核家族化などで言い始めた時代だと思います。

でもその「子供の癒やし」も限界を越して、「大人になって子供のわがままを出したくてしょうがなくなる」のが、インナーチャイルド依存症ともいうべき、「癖のあるひと」依存症、みたいなのになって出てくるから、幸せは拡大しない。
時々犯罪スレスレの相談も、そういう人からききます(もちろん、そこでお仕事はお断りしますけど)・・・。


そんな人達が、「ガッコのベンキョ出来てたら自分保てる」みたいな感じで、
スピ勉強も「高くて偉くて立派な人のことを学ぶ、実行する」ことで対処しているみたいな行動になっているひとは多いけど、

結局、「自分(という神)にアクセスして、自分を叶えていく」、というひとが、楽しく充実した時間を過ごせると思うのです。

「自分という神」を、放って於いて、外の世界の他人の神のお話は、意味をなさないのだと思います。


そしてそういう人たちが必ず持っている行動習慣は、最終的に他人を無理矢理に支配しようとする、です。

まさに、「ガーーー-っと叱って、嫌なことさせられてたんだろうなあ」
っていう、その人達の親の姿を彷彿とさせるような感じがいつもするのですが、

あなたが嫌だと思ったことは、他人にはしない、っていうのは、
幸せの法則の第一章、じゃないのかなあ、と思います。(でもご本人たちは無自覚だから、矯正できない・・・のですけど)




オラクルカードの「コンパッション(ゆるし・慈悲)」のカードには、

「まず他人をゆるす前に
自分をゆるしましょう」


って書いてありますが

ほんとこの言葉に尽きます。


大人の過去の愚行に怒っている、嫌な目に遭った、
そんな自分を認め赦すこと、



それは

大人の知識や見解で、親は未熟だったとか、仕方がなかったとか、知って理解する(ことを決心するが、脳深部はしていない)、ことじゃないのです。

そんな右脳と左脳の脳表面の場所の「思考」で、人生変わらないのです。



ばかやろう、は、ばかやろう、でいい、私はそう思います。
ばかやろうを無視することより、きっといい、そう思います。

ばかやろう、を自然に出し尽くすことのほうが、きっと幸せには近い気がする。

ばかやろうを言い尽くした後に、きっと願いたくなる。

ばかやろうを知ったからこそ、ばかやろうを繰り返さないための、道を歩みたくなる。



そういう道に、自然と進んでいくこと。
自分の心の声を聞いて、進んでいくこと。

そういう事が大事だな、と私は思います。


どんな偉い人や立派な本の言葉をごっくんするより、大切なことは自分の中にある。
この自分の声を聴けないまま人生を進むと大変なので、
自分の声を聴く練習こそ、努力してほしいと、私は常々思っています。