(もうこんなシーズンですね。先日行った大阪で)
 
 
久しぶりにパソコンに向かっている気が(笑)
・・・楽しく忙しい日を過ごしております。


ここのところ「催眠フルセッション」のお客様が、ほとんどのお仕事になってきました。

私的にはいい傾向だと思っています。

「魂」というものを取り扱うときに、怖いとか軽々しく考えない、という人が多くなったというのは、正しいことだと思います。




いつも言っているように、

「脳は2段階」になっていて、
「奥の方の脳(脳深部、と呼んでいます、大脳辺縁系のこと)」は普段ほとんど「認知」できず、
しかしそこが人生のすべてを決めている、のでして、
いわゆる「魂の全貌」が、脳深部には有って、

その、「脳深部」に深くアクセスする方法として、催眠療法、というのがあるわけですが、

そういう「部分」にアクセスして、
超個人的な情報を得て、
人生に生かしていく、
自らの人生の意味を知って生きる


そういうことの重要性が、理解されつつあるというのはとても嬉しいし、
その多くは若い女性で、
若い女性がリラックスに一歩前進するっていうのは、世界平和への一歩、ですし、

魂にふれる、ってすごく大きなことなのです。


そういう「重要性」を理解して、きちんと催眠を観て、その情報を元に人生を決めていく、というのは、世の中の変な情報からも身を守れるし、

後悔なく自分の命を楽しめるので、迷いなく有意義な人生に入っていく、みたいなことが、私は気に入っています。




ガッコじゃ教えてくれない、人生最重要、の「人が生きる意味」。



どんなに真面目に頑張ろうと、乗り越えようと、闇雲に挑もうと、
「地図」がなければ徒労に終わることも多い、人生。

その、重要な人生の「地図」は、大学校の頂点にあるのではなく、
なんと自分の奥深くに潜んでいた!




みんな薄々、そういう事は気づいていると思うけど、世の中、自分には不必要な他人の主張情報もいっぱいあるので、おとなになると、「自分の声」が聞きにくくなっちゃうんです。

だから、催眠みたいなものは、情報化社会には必須・良いのだと思います。


人体の「灯台下暗し」、ともいえることを解消する、というのは、とても有意義だと思っています。




この世界に入り、様々な社会状況を学んだり、いろいろなスピの世界の勉強や、自然療法的な話を伺いに行ったり、私の人生は一変した。

そういう場で、いろいろな人に出会ったが、

自分の人生を改善できてて、ブリリアントな存在になりつつある人と、
スピ知識や理屈は豊富なものの、まったく話も力はないし、人生の改善のない人を分けているのは、

やはり幼少期、です。

どんな幼少期を過ごしたか、ではなく
幼少期のトラウマケアをしたかどうか、です。




催眠療法は、多種多様な療法があるが、やはり「2大柱」として、「年齢退行療法」と「前世療法」というのがあると思う。



これらの情報源(幼少期や前世)はとても、人々に大きな影響を与えている情報が詰まっている、ということなのですが、

その中でも、「やはり幼少期というのは大きい」、と、催眠療法士はみな思うものではなかろうかと思う。





幼少期を癒やすことが世の中のスタンダードになったら、世の中凄いことになるといつも思う。

その、世の中に「記憶ケア」という言葉が浸透・認知しているかどうかは別として、
幼少期を省みる、という事が出来る人というのは、かなり少ない気がする。

自覚ができない(見て見ぬふり)レベルから、頭では認知しているけど放っている人まで、いろんなレベルがある。

催眠の免許を持っていても、自分の幼少期を癒せない人などというのはざらに居る。


その全ては「集団欲」「一般的な常識」「大人の事情」「慣習」などといわれるような「しがらみ」が、個人の感情を抑圧し、開放させない、のです。


その人達はどうなっていくかと言うと、酷くなるまで手を入れない、追い詰められるまで何もしない、病気の神様がやってくる、といった感じでしょうか。

知っている人は例外なく、倒れていきました。それはそれで悪いことではないけれど、それで幼少期を癒やさないとまた繰り返す、みたいなことになっているということは、言っておいたほうがいいだろう。




日本では、子供の頃から努力しろ、頑張れ、真面目にやれ、と言われ続けて、
全力でそのことを行ったが、全く幸せになるどころか、どんどん何かが壊れていく、みたいなことになって、初めて、「人生とは?」と考えることになる。


そして、いろいろな、人生をデトックスする作業にみんな入っていくのだとおもいますが、その多くは、自分が引き寄せているトラウマで狂っている人を何とかしたくていろいろ学ぶけど「自身のインナーチャイルドの荒れに気づかない」、そういう人が多い。



一例を言うと、
とある、どっぷりスピの世界にハマり、瞑想を何十年も続けていたのが有名な人だったが、その人が私に相談してきたことは

「世の中のためになりたくて、ご飯を食べていくだけの仕事を辞めて開業したが、まったく仕事が来ない。私の志は正しいのに、なんで仕事は来ないのだろう」

ということだった。

その人は、もうカウンセリングの時点で「それは仕事来ないな」という感じだった。
端的に言えば、
幼少期の孤独を、観ないように観ないように、宗教とかスピ勉強して生きてきました、というお話だった。

でも自分が今まで大量の本を読んで得てきたスピ知識上は、正しいことをすれば、神様が食べさせてくれる、というものだったからやってみた、だった。

なんで叶わないの?、ということだったが、

自我の叫びと鳴き声を無視して、世の中のために、などとやっても、引き寄せを起こす脳みその中心の磁石が狂っているので、助けて!なんて言う人は寄ってこない、という現象が起きているだけなのです。

当然、なのですね。
自分では世の中のために・・・って思っているけど、その人は無自覚に飢えているので、お会いすると何かを奪われるような感覚があります。

すでにその時点で、ほぼ貯金と収入が無く、親に借金してなんとかしのぎ、時々バイトのマッサージ師、という生活でしたが、

親への借金→親との縁を切りたくない(無自覚孤独)
マッサージ師をやめられない→寂しくて人に触れるということを止められない

という感じだったと思います。ちなみに男女間トラブルも抱えていました。
サインとしては全部「孤独・寂しい」です。



身内への批判を暗にほのめかしていましたが、
それを癒やすことも手放すことも拒否して、偉いお坊さんの本を読んで、育ってしまった。その結果、手元に残ったものは・・・・借金。他の人は全く知らなかったけど。



こういう人が「グラウンディング出来ていない」、というのです。

「グラウンディング出来ていない」というのは、
=第一チャクラが小さすぎる、つまり、
幼少期が満たされていないということなのですから。



弱さを認めない、
という集団欲に侵された大人の男性に圧倒的に多いパターンですが、
こういう人の幼少期をデトックスは、すごく時間がかかると思う。

偉いお坊さんや取得に高額のかかった資格の考え方、世間の倫理みたいなものが、鎧みたいになっちゃっている。

こういう人のピュアな子供の魂が、結局暴れることを止められないで、何らかの依存症を発する。依存症や病気が発生するときのルーティーンの一つだと思います。





みんな、大変な思いをしたりして、
神を見たい、すがりたい、と
スピの世界に入り込むようになって、
「神の声を聞きたい」と言わんばかりに、様々なことに挑み始めます。
私もそうだった。


たくさん本を読んだりすることもあるでしょう。
いろいろな資格をとったり。
ものを収集したり。



でも、結局「神の声」は、「自我」の声をきちんと聴いて、開放すると、自然に聴こえてくるものなんだと、私は思う。

しかし「自我」の声を無視している人っていうのは圧倒的に多い。

そして「神の声」にそっくりな社会の大声=エゴに騙され続ける人は多い。悲しいものだ。

・・・次回に続きます。