(自己主張せよ!
誰かの意見を待っていたり、従ったりするために生きなくて良い!
という”アサーティブネス”のカード。

この世のお助けマン的な人種は、この”境界線”を見誤りやすいと
よく聞きますね・・・・)




先日、気になっていたが見逃した映画が、
別の近くの映画館で再上映が有るのを知って、
観てきました。


「レディ・バード」。という映画。



高校を卒業間近の主人公の女の子の、
自立、
何ということもない巣立ちを描いた映画。



「僕の名前で君を呼んで」のティモシー・シャラメ、が観たくて行った私・・



や・は・り、
「見ようか迷った」なんて言う映画は、
あんまり、観なくていいのだなあ、と思う。



だってその映画のメインテーマ、は
「母親のエゴから羽ばたくためにもがく若い女の子」
ってやつだったのだから!



本当に、このテーマは、うざい、です。
こういう映画、結構出逢う。
それだけ、世界共通の、テーマなんだと思う。母娘の問題、というのは!

「ヒプノ赤ちゃん」で芳しい結果の得られなかった人は、
すべからく、この問題で苦しんでいた人たちでした。



・・・
いいですか?

母親だって一人の人間なんです!
だから失敗もするし間違ってもいます!
その、間違った失敗する人を、全肯定して、正当化して、従う?

それ自体が、「なにかおかしい」、のですね。



この世でやっていくことというのは、

あなた自身が
心から正しいと
信じたことを
最優先して行っていく


ということなのだ。


誰も、否定も肯定もしなくていい。
自分のことをやっていくだけなのだ。




この世には、まだまだ「母親がルール」という人が、たくさんいます。
それは
幼少期の命の最大の守護、をしてくれた人に従う、
という、
人生の自然な流れ、ではありますが、

それは「大人になったらやめること」のひとつなんですね。


人は進化していくもの。
それには「嫌なものには嫌と言う!」というのも
とても大切なこと!



「大人になる」というのは、それがどんな評価であれ、
自分で信じたことに
ただ 取り組んでいく

ということなのだと思います。

自分は、神様なんです。
自分に対して、そして、世の中に対して。

身内でも、誰でも、介入させなくていいんです。
自分が決めたり信じたことに!



ただ、それだけなんだけどなあ、・・・・




ソリの合わない親との、健全な境界線を築く、っていうのは、
マザー・テレサのいう「思いやりのある無関心」、
ってやつじゃないのかな?


なんて思います・・・。





一通り、映画の後に、お茶しながら考えて、
いつもの結論に至って、

飽きたなあこの話題、と言う感じで
・・・・


その夜の夢が、すごい(笑)



(「夢分析」ブーム(笑))


その夜、

夢の中で



私は大きな、田舎の工場の倉庫(がらくたばかりある!)にいます。
近くに若いカップルがいます(誰かわからない)。


カラン、と音がして、


小さな筒状のバトン?ぐらいのものが
(これが爆発して、火が出てたらダイナマイトだね!!)
がらくたの山の一番手前に落ちて、

一瞬で

「ビニールの巨大な人形」に膨れ上がる!


それは、いわゆる、「性別がわからなくなってきた年配女性」の
姿だった!!


夢の中で、私は「モンスターだ!」と驚いて、

(実際、
ビクっと、していたと思います。ベッドの上で。)

・・・ビニール人形は
2階建てぐらいの高さの、天井の高い倉庫の天井ギリギリまであって、
倉庫の出口は、高いところに一つ、低い位置に一つあって、
私とカップルはそれぞれ逃げたんです。


カップルは、道に出やすい方の、メインの高い位置の出口に。
私は草むらの中に出てしまう低い位置の出口に。


”おばさん”モンスターは、カップルを追いかけて襲いました。


でも、なんとか逃れて、3人して低い位置の出口から出る、
結構な高さの有る草だらけの場所になんとか出た、


というところで、夢からびっくりして覚めた、深夜。・・・




ビニールのモンスター=私達が怖がっている”幻想”
倉庫=能力の貯蔵場所

草むら=癒やしの場

ビニールの人形の出てきた筒がダイナマイトならば、
恐れていることが有る・・・だったかなあ。



素人な「夢解釈」をしてみれば、


「ニセ母性・ニセ母」みたいなものに怯えていて、
私達の能力の倉庫には、ガラクタばかり、
それが時折、「ビニール人形みたいな幻想」になって襲いかかる、

都会や家に近い道に出ようとする出口に向かえば、
その恐れに襲われる、

癒やしの場所に導かれた、



です。



これは、「ヒプノ赤ちゃん」のカップルも、
講師の私も、

幻想から自由になって、
癒やされるべきだ


という

象徴だと思いましたね。



私達が恐れてきた、母親、母性、みたいなものは
ビニール人形みたいな幻想

だという

夢のお告げだと思いました。




いつも思うんですけど、
建前とか、常識とか、伝統とか言ってる人の顔って、
ほんと、怒ったような、変な顔になっていますよね。


真夏の千本ノックが優勝につながるんだ、みたいなわけわからんこという
上級生の顔、みたいな・・・

ほんと、あれ、「悪霊憑依顔」だといつも思うんです。

「母親の言うことに従え」「親孝行しなさい」っていう人の顔って、
いつもその顔、なんだよね。

それは未だに、「本当の愛」に親子愛が至っていなくて、

「千本ノック」でしかない無意味なことが、
まだまだこの世で行われている、
っていうことだと思う。



伝統とか常識とか建前とかただ守ってて、
新しい才能とか感動とか本当の愛が生まれるわけ無いじゃん!

世界は常に変化している!



とか、思うわけです。
羽生結弦くんだって、自分を信じて、奇っ怪なことやっているから、
ああいうことになっているに違いないですよね。



映画「レディ・バード」にも、

世の中でよくありがちな、

・・・恋をとりあえずしてみるとか、
男の子と深い関係になってみるとか、
先生にいたずらしてみるとか、
髪を変わった色にするとか、

いろいろな
「世の中でとりあえずやってみると楽しいと言われているようなこと」

を主人公はやっているのですが、

ああいうのも、消耗、だなあ、と。
何もしないよりいいぐらいなレベルのことだ。


どうしても通らなければならないようなものでもない気がする。


世の中そういうことが多い気がする。


飯田がWSなどで

「人生で物事を選択・判断する時、
【世間でよくありがちだと言われていること】、で決めていませんか?」

って言っても、

結構多くの人がキョトン?って顔しています。

そういうのが人生だって思っているのだと思います。
=他人が言っていることが正しい、
そう思っているのと一緒だと思いますが、

自分が選択する、っていうのは、他人に従うことではない、ですよね。




ジコジツゲン、とか言ってもよくわからない・・・
っていう人も、本当に多くてびっくりする。

自分の身や心を守るだけで精一杯だった、っていうひとが大半。
そういう社会の傾向があるのはわかりますが・・・・悲しい。

もう、よくぞ生きてここへたどり着かれましたね、と
抱きしめたくなりますよ・・・。皆さんの、インナーチャイルドを!


全身アトピー出しながら言ってたりするひともいるから、
それはそれで、非常に悲しい、とも
私は、よく、思っています。




自分が、楽しそう、とか、ワクワクする、とか、
って
心から思わないことはなるべくしない、と私は決めています。


もちろん、そんなことばかりの人生ではないので、
カフェでいつものお茶してダラダラする、という時間も多いのだけど、
それも人生の一面だから許す。


でも
「世間の多くの人がやっているから」
(正確には、”多分そうであろうという情報”、なんだけど)

という理由が、
あまり私には幸せを呼ばないな、ということを
学んだというのが、今の本音。


幸せ感を得たり、母親のエゴ、
親孝行という世間の価値観から自由になるには、

その元になっている世間の行動習慣・世間の概念に、
気づいて、逃れる、です。

一般的、と呼ばれていることも、
自分には要らない価値観かもしれない!


そういうことを、見つけて、消していくということですね。
自分の、充実した人生を生きるということは。



・・・
今夜もいい夢を!(笑)

ではでは!