素敵なグザヴィエ・ドラン監督の映画の中でも、
うちにあるディスクの中で、一番のお気に入りは
「トム・アット・ザ・ファーム」。
いろんなひとの、心を救う、・・・・
・・・同性愛者だけでなく、死の悲しみに暮れるひと、や
恋人が忘れられない人、などなど・・・・
いくつかの美しいシーンと共に、大好きな一作なのですが、
この作品、長女シンドロームの人に観てもらいたいなあ、
最近そうよく思う。
・・・この映画は、端的に言うと、
田舎の牧場の家族(母と長男)のところに滞在している、
亡くなった次男の元・恋人の悲劇(長男の暴力の支配下に置かれる)、
を書いたものなんですが、
この長男が、いわゆる、「長女シンドローム」
(長女でなくても、女でなくても、親の命令下に置かれた、犠牲になっている子供)
なのですね。
母親は、世間体をとっても大事にしている、大きな牧場主の奥様。
主役のトムが、次男のお葬式で、言葉が詰まり、式で弔辞を言えないでいる。
その場ではトムに、「無理しないで・・」っていうのに、
家に帰ってから、責めたりする。
子供を自分の支配下に置こうとする人というのは、
必ずお外ではいい人してます。
そのストレスの犠牲になるのが、「長女シンドローム」ともいえるのでしょうね。
子供的には、生命維持のため、恐怖心を突っつかれるのと、
(母親は全世界の総ての人間の生命を握るといわれている
無意識下で、人はそれを感じて生きているという説がある)
母親という家族の 「純粋性」をどこまでも信じちゃったりとかが 悲劇を生みます。
母親の信じる「世間体」は純粋性の欠片もないものです。
トム・・の場合は、更に、
母親の支配下で耐えられなくなった長男が、
弟の元恋人で、田舎ではタブーかつ世間体が最悪な同性愛者のトムを
ストレス解消代わりに、暴力をふるって、
末には、
優しくして~ → 暴力振るって~ → また優しくして~
と、
どろどろの共依存のパターンに入っていきます。
・・・・この映画を勧めるにあたって、少しだけだけ私が危惧していることは
長男を見て、共感しないで欲しい
ということと、
仕方がないよね、
って言わないで、っていうこと。
「仕方がない」、って言ってしまえば言うほど、
・・・先日も書いた通り、「仕方がない」、が負のアファメーションの言葉になるため、
不幸で、窮屈な関係性は、どんどん深みに入ってしまう
です。
人生はあなたの心が作っている byルイーズ・ヘイ
です。
「トム・アット・ザ・ファーム」を何度か見て、
一番、気になっていて、
意味がよくわからなかったシーンが有ります。
冒頭に、元恋人の牧場の自宅に着いた時、
また、トムがそこを脱出する時、
家には誰もいないのです。
誰もいない牧場のなかで、トムがただただ人を探す、
そんなシーンが、
冒頭と、ラスト近くに、2回ある。
ある日私は、ふっと、ひらめいた。
この映画のそのシーンが、一体何を表していたのか。
びっくりした。
改めて、ドラン恐るべし、って感動した。
「この牧場には
『人間 が 存在していない』、
あるのはただ 世間体に洗脳され 支配された 『概念』、
若しくは
世間催眠 だけなのだ」
そういうドランの叫びが、私を揺さぶった気がした。
牧場の家畜のように、世間催眠に利用され飼育された状態、
長女シンドロームとは、そういう闇があると思います。
長女シンドロームの人には、
トムが逃げるシーンを、信じてほしい、
そこに共感してほしい、
勇気を貰ってほしい、
そんな願いを、神様にお祈りした次第です。
人が 人間らしくあるために
あるがままで自然に生きるために
世間催眠も世間体も、無用なものなのです。
そして、個人の我慢も。
長男が振るっていた暴力が、
内側に向かうと(我慢)、病発症、となるわけです。
女性は自分が我慢して解決しようという行動パターンを取りやすいといわれている。
男性でも、女性性が高いとそうでしょう。
そんなふうになって、重病になってたら、いかん、って思います。
トムと一緒に、逃げていただきたい、
勇気を出せ、
私だって体が弱くても、何とか逃げましたから!
願えば叶う!
そんなわけで、「トム・アット・ザ・ファーム」、お勧めです。
ドラン、やるよね。 素晴らしいです。
うちにあるディスクの中で、一番のお気に入りは
「トム・アット・ザ・ファーム」。
いろんなひとの、心を救う、・・・・
・・・同性愛者だけでなく、死の悲しみに暮れるひと、や
恋人が忘れられない人、などなど・・・・
いくつかの美しいシーンと共に、大好きな一作なのですが、
この作品、長女シンドロームの人に観てもらいたいなあ、
最近そうよく思う。
・・・この映画は、端的に言うと、
田舎の牧場の家族(母と長男)のところに滞在している、
亡くなった次男の元・恋人の悲劇(長男の暴力の支配下に置かれる)、
を書いたものなんですが、
この長男が、いわゆる、「長女シンドローム」
(長女でなくても、女でなくても、親の命令下に置かれた、犠牲になっている子供)
なのですね。
母親は、世間体をとっても大事にしている、大きな牧場主の奥様。
主役のトムが、次男のお葬式で、言葉が詰まり、式で弔辞を言えないでいる。
その場ではトムに、「無理しないで・・」っていうのに、
家に帰ってから、責めたりする。
子供を自分の支配下に置こうとする人というのは、
必ずお外ではいい人してます。
そのストレスの犠牲になるのが、「長女シンドローム」ともいえるのでしょうね。
子供的には、生命維持のため、恐怖心を突っつかれるのと、
(母親は全世界の総ての人間の生命を握るといわれている
無意識下で、人はそれを感じて生きているという説がある)
母親という家族の 「純粋性」をどこまでも信じちゃったりとかが 悲劇を生みます。
母親の信じる「世間体」は純粋性の欠片もないものです。
トム・・の場合は、更に、
母親の支配下で耐えられなくなった長男が、
弟の元恋人で、田舎ではタブーかつ世間体が最悪な同性愛者のトムを
ストレス解消代わりに、暴力をふるって、
末には、
優しくして~ → 暴力振るって~ → また優しくして~
と、
どろどろの共依存のパターンに入っていきます。
・・・・この映画を勧めるにあたって、少しだけだけ私が危惧していることは
長男を見て、共感しないで欲しい
ということと、
仕方がないよね、
って言わないで、っていうこと。
「仕方がない」、って言ってしまえば言うほど、
・・・先日も書いた通り、「仕方がない」、が負のアファメーションの言葉になるため、
不幸で、窮屈な関係性は、どんどん深みに入ってしまう
です。
人生はあなたの心が作っている byルイーズ・ヘイ
です。
「トム・アット・ザ・ファーム」を何度か見て、
一番、気になっていて、
意味がよくわからなかったシーンが有ります。
冒頭に、元恋人の牧場の自宅に着いた時、
また、トムがそこを脱出する時、
家には誰もいないのです。
誰もいない牧場のなかで、トムがただただ人を探す、
そんなシーンが、
冒頭と、ラスト近くに、2回ある。
ある日私は、ふっと、ひらめいた。
この映画のそのシーンが、一体何を表していたのか。
びっくりした。
改めて、ドラン恐るべし、って感動した。
「この牧場には
『人間 が 存在していない』、
あるのはただ 世間体に洗脳され 支配された 『概念』、
若しくは
世間催眠 だけなのだ」
そういうドランの叫びが、私を揺さぶった気がした。
牧場の家畜のように、世間催眠に利用され飼育された状態、
長女シンドロームとは、そういう闇があると思います。
長女シンドロームの人には、
トムが逃げるシーンを、信じてほしい、
そこに共感してほしい、
勇気を貰ってほしい、
そんな願いを、神様にお祈りした次第です。
人が 人間らしくあるために
あるがままで自然に生きるために
世間催眠も世間体も、無用なものなのです。
そして、個人の我慢も。
長男が振るっていた暴力が、
内側に向かうと(我慢)、病発症、となるわけです。
女性は自分が我慢して解決しようという行動パターンを取りやすいといわれている。
男性でも、女性性が高いとそうでしょう。
そんなふうになって、重病になってたら、いかん、って思います。
トムと一緒に、逃げていただきたい、
勇気を出せ、
私だって体が弱くても、何とか逃げましたから!
願えば叶う!
そんなわけで、「トム・アット・ザ・ファーム」、お勧めです。
ドラン、やるよね。 素晴らしいです。