個人的に、「愛想」という名の嘘が、嫌いです。
というか、「嘘」が駄目です。

昨日も、満島ひかりさんの嘘のなさが素晴らしい、って書いたのですが、・・・嘘が本当に私は無理でして。

たくさん人と付き合っておきたい、情報を得たい、利益に換算したい、孤独ではいられない、

みたいな人が、しょっちゅう、「身に着いた嘘」をいい、嘘の行動に走り、・・・っていうのを見ますが、疲れますね。
こういう人ほど、充実した関係が一つも築けてなくて、たくさん人に囲まれているのにいつも不安や孤独でいっぱいで、

「苦を観る」というブッダの言葉がありますが、
・・・これはつまり、「苦にずっと執着するな、一端離れて、「俯瞰(ちょっと上から相関図なんかを見るようにして)苦を観てみる、ということをすると今体験している苦の意味が分かって、受け入れられるし対処もできるってことですが、

不安や孤独にさいなまれている人は、こういうことを、嘘をついたり、愛想を振りまいたり、凄い営業文句を研究して使う前に、すべきなんだと思うんです。

孤独に振り回されると、本当によくない。

第一、嘘でしあわせになっている人を見たこともないしね。

私はしかし、芸術と、「身の危険の為」の嘘は、自分に許可しています。
芸術は、嘘の向こうの魂のキラキラが、たまらないですね!

だって、満島さんたちは、「演じる」のが、嘘が、売り物ですからね。
しかし、その向こうで、上手い人であればあるほど、その人自身の芯、魂の輝き、みたいなものがみえたりして、感動します。

「身の危険の為」、そして、「思いやりの為の嘘」は、自分も相手も実は守るし、相手が傷ついたのだとしても、「カルマ」、なんだと思います。

「苦」、も、必要ですよね。
痛いことがあって、学べることって大きいし、そういうことを大切な人だと思ったならなおさら、許すべきじゃありません。

何でもかんでも嘘つかないでばらすのも、無防備すぎるし、嘘つかないことが美徳だったり正しかったりとか思いません。恋人と別れた、一人でさみしいって飢えた異性の前で言ったら、間違いだって起きるでしょう。

いいのです。「自分が」正しいと思い、思いやる嘘は。
ただ、「嘘を身に着ける」「常習」は、よくないです。
「フツーに、これぐらい言うでしょ」とかも!

私は、「仕方がなく、嘘をつきますが、神様、相手の為にはこうするしかありません」って言って、散々考えて、嘘します(笑)
っていうか・・・ 相手の守護霊様が、私に「修業の邪魔しなさんな!」って言ってくるんですけどね、多分(笑)

もちろんばれると思いますよ。 一時的に恨まれるかもしれませんが、相手には最後の思いやりだし、恨みは結局私ではなく相手の勉強の場、私は恨まれて死んでも、神様はお疲れ様、って迎えてくれるでしょう。

自分の為だけの嘘なんて、小さな利益のための嘘なんて、でっかいカルマになるだけなのにな~~
ばれないウソもないしね!帰ってこないカルマもないし!

ばれないよ~ って思ってる人が嘘つくんだと思いますが、そういうこと言ってる人って、・・・申し訳ないですけど、残念なタイプに見えますし、よくある女の子同士の裏話だと「ばれてるよね」って話は本当に多いです。スピードの差こそあれ、いつかばれてるんですよ。

ちなみに「愛想のいい人」=私的には嘘笑いの人、若い人に多くなりましたね。男の人とか。
残念ですが、そういう人がきちんと仕事してくれる場面に会ったことはない。
自然にしてればいいです。
自然に、「仕事戴けて、ありがたいなあ」って思ってただそこにいるほうが、実は思いやりがある気がする。実際、仕事してくれるのはこのタイプなのかも。愛想は「作る」から、良くないに決まってます。「頭(顕在意識)」のキャパがここで終わるから、仕事の重要なとこまでまわらないって感じですね~~。(ね。)

ただただ、自然にこの時に感謝、相手に感謝、そんだけですよ。
人と関わるときは。
それ以外はいらない!!!

「頭(顕在意識)で人と接するな」、しかし、身を守るときだけは「顕ちゃん(業界人は、顕在意識をこう呼びます)使ってOK」、です。

顕ちゃんも潜ちゃんも、どっちがいいとか悪いとかじゃないです。
嘘も、絶対悪ではないです。そう思います。