1週間で3kg減った
お腹は凄く空いてるんです
だけど匂いで殆どの物がアウト
かろうじてチョコレートが主食となる
昨日は久々にうどんを食べる事が出来た
麺類大好きなのに、食べれなくてこれも悲しかったけれど、素うどんなら平気だった
これをきっかけに少しずつ食べれる物が増えると良いなぁと思う
あと、この後リバウンドで過食にならない様に気をつけなければ
昨日まで笑えた事が、急につまらなく感じたり、好きなはずの音楽を歌っててもちっとも楽しくなかったり
食欲が激減したり増減したりなんて生活は、はっきり言って苦しいです
生きてて辛いです
強制終了したいと何度思ったことか
今「途切れた記憶」という自分でシリーズ物にしてる物で昔の事を振り返るという掘り起こし作業をやっている
ここから先はもっと悲惨で、自暴自棄になっていたり、自業自得な所もありつつも他人事のように大変だなぁ、よく耐えたなぁと当時の自分を感心してしまう
自分の出来事なのに、他人の様に感じてしまうのは、確かに大変だったけれど、余り辛いとか苦しいという感情は湧いてこなかったんですね
それより今日一日をどうやり過ごすか、明日はどうやって生きていくか
そればかり考えていて、自分の痛みに鈍感になっていた部分がある
だからこそ耐えれたんだろうと思う
そして自覚症状として病気という形で症状が出たのは、親や親戚の関係を断ち切って好きな音楽をやって、それがきっかけで自分の好きなアーティストと近付けて、行きたいと思う事、やりたいと思う事を次々と実現して、本来なら幸せな時に発症
よーく振り返って考えると10代の時から、そういう症状はあったわと思うんだけど自分でも、その時はやばいと感じれなかった
通院しなきゃならないって時は、やっぱり嫌だった
精神科に通うって抵抗があったし、自分の伯父も通ってたから、やっぱり血筋というものかと悩んだり
色々葛藤があった
それにどうしてこの時期に?という思いが凄く強かった
だけど子供の頃は、辛い事や嫌な事、悲しいとか苦しいとかそういう感情をとにかく我慢しなければいけなかった
今は家で辛いとさめざめ一人で泣いても、うるさい!と怒鳴ったり殴る人はいません
それどころか逆に心配してくれる人がいる
好きなアーティストと話をしている時も、あの時乗り越えたから今があるんだなぁと思うと感極まって泣いちゃって
その人は自分の発言が悪かったと思ったのか、あわてて
「アリカちゃん大丈夫だよ、十分頑張ってるから!自信持って」
と慰めてくれるんですね
「違う、幸せだから泣いてるんです」
「泣ける時は好きなだけ泣いて良いから」
と言って貰えるこんな幸福な事があるだろうか
辛い時に辛い、悲しい時に悲しいと感じるのは人間として当たり前の感情
その感情が抑圧されると可笑しくならないはずはない
あの頃誰にも言えなかった思いも、あの頃感じていたありとあらゆる負の感情を今なら放出させても
耐えれると、自分の脳?神経?は判断したんでしょう
とは言っても躁鬱は厄介なので、なるべく早く寛解したいですけどね
だけどこの当たり前の感情を当たり前に表現出来るようになって、楽しい事や嬉しい事が
より尊い時間に感じられるようになった
そう意味で前と比べて確実に生きやすくなってる