永遠とは、

 

三面鏡に顔を挟んで、

 

無限に広がる空間を見つめるようなものかもしれない。

 

※すみません。今日は命、そして生と死について書きます。

なにかが良いとか悪いとかではなく、ふと思ったことを書かせていただきます。

不謹慎に聞こえたらごめんさない。

苦手な方は読まないでね。

 

生命に無限は存在しない。

 

生命どころか、

 

この宇宙のすべてのものに永遠なんていうものはない。

 

すべては無常。

 

常に変わりゆく。

 

ある哲学書に、

 

人間はどれぐらい生きたら満足に死ねるのかという考察が乗っていた。

 

そもそも人が死を恐れる理由は三つある。

 

1、人は生まれるときに(産道を通るとき)、死ぬほどの恐怖を味わっているから。

 

恐怖。

 

2、まだ生きていたら体験できたかもしれないプラスの経験が残っているからと思うから。

 

後悔。

 

3、死んだらどうなるか分からないから。

 

不安。

 

1はちまたでよく聞くバーズトラウマ。人は生まれてくるときに死の恐怖を味わう。その記憶が残っているから死ぬのが怖いというもの。

 

2は可能性の話。まだこれができたかも、という後悔があるから人は死を恐れる。これに対してでは何年生きれば人は満足して死ねるのかという問いに、ある哲学者が答えたそうだ。

 

「約1,000年!」

 

同時にこうも書いてあった。

 

「永遠の命ほど苦しいものはない」

 

と。

 

3はそのまんま。死んだらどうなるか分からないから怖い。

 

でも、人は遅かれ早かれいつかはこの世を去ってしまう。

 

そこに良い悪いはなく、ただの自然の摂理。

 

四季が巡るのと同じようにどうしようもないことだ。

 

ただ、残された方は悲しい。

 

本当に悲しい。

 

突然の志村けんさんの訃報で、

 

そう思った人はたくさんいると思う。

 

ぼくもてっきり、

 

あの人は絶対に死なないって思い込んでいた。

 

またテレビでバカ殿さまが見れるんだって。

 

どうやらぼくは知らぬ間に、

 

三面鏡に顔を挟んだ世界をみていたようだ。

 

悪いのは死ではない。

 

生きよう。

 

胸を張って。

 

今日を精一杯生きよう。

 

できることを、やれることを全力でやろう。

 

恐怖、後悔、不安。

 

正体は分かった。

 

正体が分かれば怖いもんなんてない。

 

手を繋いで、輪を作って、歌をうたいたい。

 

生きていることは、当たり前なんかじゃない。

 

永遠とは、

 

三面鏡に顔を挟んで、

 

無限に広がる空間を見つめるようなものかもしれない。

 

今日、あなたはなにをしますか?

 

ぼくは、ぼくのできることを、全力でやります。

 

まずは笑顔で目の前の人を笑顔に!

 

今日も一日きみは信じられないぐらい、ありえない祝福をたっぷりと受けとった自分を受け入れ、認め、許し、愛しました。

 

おめでとう!

 

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最後まで読んでくれてどうもありがとうございます。

 

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