命の絆の法則とは真逆の生き方
何故自分がこの「命の絆の法則」を受け入れる事が出来たのかではなく、元々自分の潜在意識が求めていたものが必然的に出会わせたと言った方が良いのだろうと思います。
そんなお話を昨日のブログでさせて頂きました。
「命の絆の法則」とは程遠い生き方をしていた自分。
しかし心の何処かではこの生き方は違うと感じている自分。
その狭間で右往左往している自分。
そんな自分を満たしてくれる何かを無意識のうちに探し求め続けていたのだろうと思います。
そして『命の絆の法則』と出会い、それをを知って行くと、
「やっぱりそういう事だったのか!」と想う自分。
何か困り事があってどうしたら良いか相談し「命の絆の法則」を知り、供養や陰祀りを止めた方が良いと言われたので止めたのではなく、
私の場合は、独り散々色んな道をさ迷い続け、そんな中で、供養や陰祀りをすることに違和感と罪悪感を感じ、それを納める所を探していて、Sさんと出会い、結果的に「命の絆の法則」と出会ったと言う流れでした。
人間はどうしても『情』に流されやすい部分があります。
それは悪い事ではなく、『情』があるから心が繋がれ、人が繋がれて行く面もあると思います。
しかし、『命の絆の法則』は『情』を越えた所に存在するのでしょう。天地の理というのか。
人間は、目に見える、形のあるものを求めようとします。
それによって安心出来るからなのでしょう。
だから、お墓や仏壇や位牌、或いは自分の中に確かに存在する故人との「想い出」など形のあるものが寄り添ってくれ、それに手を合わせる事で自分の心が満たされ、納得出来、安心出来るのだろうと思います。
私も人間である以上、『情』を捨てられません。
弱い自分が居ます。仏壇やお墓を目の前にすれば、生前同様に親や先祖がそこに居てくれ、自分を守ってくれている様に想い、手を合わせたくなる気持ちは人間なら誰しもあると思います。
でも、『命の絆』を知ると、例えば、
実家の父と母の『魂』は、兄長男の息子長男夫婦の『魂』になります。
父の『魂』が兄長男の息子長男に分け霊(わけみたま)され
そのお嫁さんに母の『魂』が里帰りしてきているのです。
お墓には亡くなった人は居ないと言いますが、亡くなっても『魂』は輪廻転生し、こうして新しい命に引き継がれ生まれ変わって来ており、実際、兄の息子長男も結魂し、お嫁さんと共に幸せな家庭を築き、更に二人の間にはちゃんとまた男の子と女の子が一人ずつ授かり、そんな話を聞きますと、兄の息子長男夫婦は私の父と母でもあるのだと思うと、二人の幸せを願わずにはおれません。
もう父と母はこうして新しい命となって新しい人生を歩み、幸せに暮らして生きているのに、お墓や仏壇の中にいつまでも父と母を留めようとしたらどうなるのだろう?!と思うと、手を合わせて供養するよりも、兄長男の息子長男夫婦の幸せを願い、そこに意識を向けなかったら、父と母はどうなってしまうのだろうと、そんな風に思う様になった私です。
父と母の『魂』は、兄長男の息子長男夫婦の『魂』となり、
新たな人生をすでに今一生懸命生きようとしている。
父と母は、兄長男の息子長男夫婦となって今現在けなげに、精一杯生きている。
それなのに、そこに想いを向けず、お墓や過去の姿や想い出だけを握りしめ追い求め、今現在すでに新たな人生を精一杯生きている父と母を無視してしまったら、父と母はどうなってしまうのか。私は父と母を見捨てた事になってしまう。
兄長男の息子長男夫婦が父と母なのだと思うと、愛おしくてたまらない気持ちになります。そこに精一杯の想いを向けずにはいられません。
供養ではなく、今現在の父と母に精一杯の想いと幸せと無事を願わずには居られません。
この地球上に80数億の人達がいます。
その中で、私の様な捉え方、感じ方をする人は、ほんの一握りに過ぎないかもしれません。
それでも、きっと私と同じ様に感じている人は何処かに居るのだろうと思います。
たとえたった一人であっても、同じように感じ、『魂』の声に耳を傾け、真の幸せをつかもうとしている人との出会いを大切にしていきたいと思っています。
朝つゆの花アキコ
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