お墓ほど何かを語り掛けている

 

私の実家の方は、大変田舎である為、私が成人した頃でもまだ土葬が続いており、祖母が亡くなった時も土葬が主流でした。

 

土葬の場合は部落の人が穴を掘り、みなで分担し、お棺をお墓までかついで行き、埋葬しなければなりません。

 

実家は祖父の代で別の部落に引っ越した為、引っ越す前はお墓が近かったから良かったものの、引っ越してからはお墓までは2キロ以上あります。

 

それでも祖父が亡くなった時はまだ昔だった為、部落の人達が2キロ以上ある所を大変な行列を作って村の人達がお墓まで行って下さったのでした。

 

祖母が亡くなったのはそれから大分経ってからでしたが、まだ当時も土葬が主流だったものの、さすがに2キロ以上部落の人達に御面倒をお掛けするのもしのびなく、父は祖母を火葬でお願いしたのでした。

 

それから暫くして、時代もだんだんと変わり火葬へと移行していきました。

 

しかし土葬の時代でも、土葬のお墓とは別に、お寺の裏に石碑を建立しているのが一般的でした。

 

時代も移り、今では土葬のお墓はめったに人が来ないお墓となり、山の中で薄暗く鬱蒼として、静まり返っています。

 

 

土葬の時代と違って、最近はお墓もそれぞれ好きな様に個性豊かな石碑が並んでいます。ビックリするほど巨大でひときわ立派に高くそびえ立った石碑もあれば、ごく一般的な無難なお墓や、色々凝ったデザインのお墓もあれば、形状も様々です。個性豊かであるほどに、そこには建立者の強い「想い」(念)が込められている様に感じます。

 

それは、故人に対する強い「想い」であったり、その家としての生き方や考え方であったり、色んなものがお墓に凝縮されている。

 

要するに、それだけ現代は、お墓に強い念を込めていると言う言い方も出来るのでしょう。

 

 

私はお墓のことや、墓相や、しきたりや、難しい事など全く無知で分かりませんが、でもお墓を見ているとその家の歴史というのか、代々のその家の人間模様や、辿って来た道のりの様な物が浮き彫りになっている様にも感じます。

勿論家相もそうですが、お墓にはまた何というのか、何とも言えないものを感じます。

 

 

その家の代々の喜び、悲しみ、苦しみ・・・

そう言うものがお墓に露呈されている様な感じがします。

 

その家の代々の人達の深い想い(喜び、悲しみ、苦しみ・・・)が強烈に刻み込まれている。

 

 

♬私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私は居ません、死んでなんかいません・・・

 

あの歌の様に、『魂』は常に輪廻転生を繰り返し、そこには亡くなった人はいないのでしょう。

今生きている人達が先祖の生まれ変わりであり、私達は先祖そのものであり、前世で味わってきたその苦しみ、悲しみを今世そのまま持ち越して生まれ変わって生きていることになります。

 

 

だからこそ、誰も居ないお墓に念を込めるのではなく、今生きている自分達の生き方を正して行くことが大切なのであり、それこそが「真の供養」というものなのでしょう。

 

そこにはもう故人はいない。

その故人達は、今生きている私達自信であるのだから。

 

いくらお墓に念を込めても、自分達の生き方を正さない限り何も変わらないのでしょうし、念を込めれば込めるほど、『魂』は益々分裂して苦しむのでしょう。

 

 

私はこの『命の絆の法則』と出会い、それを知りました。

 

 

 

 

 

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